松本薫_(柔道)
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漫画家の「松本かおり」とは別人です。

松本 薫

基本情報
ラテン文字Kaori Matsumoto
原語表記まつもと かおり
愛称野獣
日本
出生地石川県金沢市
生年月日 (1987-09-11) 1987年9月11日(36歳)
身長163cm
体重57kg
選手情報
階級女子-57kg級
所属ベネシード
段位五段
引退2019年
JudoInside.comの詳細情報

獲得メダル

日本
柔道
オリンピック
2012 ロンドン57kg級
2016 リオデジャネイロ57kg級
世界柔道選手権
2010 東京57kg級
2015 アスタナ57kg級
2011 パリ57kg級
世界団体
金2008 東京57kg級
銀2011 パリ57kg級
ワールドマスターズ
2010 水原57kg級
2012 アルマトイ57kg級
2011 バクー57kg級
グランドスラム
2009 モスクワ57kg級
2010 パリ57kg級
2010 リオ57kg級
2010 東京57kg級
2011 東京57kg級
2014 東京57kg級
2009 東京57kg級
2009 パリ57kg級
アジア大会
2010 広州57kg級
アジア柔道選手権
2008 済州57kg級


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松本 薫(まつもと かおり、1987年9月11日 - )は日本女子柔道家帝京大学法学部卒業。組み手は右組み。得意技は袖釣込腰小外刈寝技。兄弟は兄と姉2人と弟がいる[1][2][3][4][5]。愛称は野獣[6]。2016年結婚。本人も夫も結婚前の苗字は松本である[7]
経歴
2007年まで

石川県金沢市の出身。兄弟が既に柔道を始めていたこともあり、親の勧めで6歳になる直前に岩井柔道塾で柔道を習い始めた[8][9]。道場では毎日、夕方の5時から夜の10時まで5時間、夏休みは12時間も練習していた[10]。指導者の岩井克良によれば、味噌蔵町小学校時代の松本は「表情がないし口数が少ない。黙って黙々とやるタイプで、勝ったって喜ばないで淡々としていた」。団体戦では10kg以上重い男子相手にも巧みな間合いで対等に渡り合う引き分け要員として活躍した。一方で、岩井柔道塾では週1回レスリングの練習も取り入れていた影響もあってか、レスリングスタイルに似た前傾の構えをこの当時に身に付けた[11]。柔道の大会以外にレスリング全国少年少女レスリング選手権大会にも出場すると、2年生の時に22kg級で2位、3年生の時には24kg級で3位、4年生の時には27kg級に出場して3位を記録している[5][12]。レスリングを受け持っていた指導者はそれほど厳しくなく、また楽しかったので、この当時は柔道よりもレスリングの方に好感を抱いていた[10]。一方で柔道の練習はきついだけで試合に勝ちたいと言う気持ちも湧かず、憂鬱な気分になるばかりだったためできることなら辞めたかったが、厳格な指導者を恐れるあまり辞めたいとはどうしても口に出せなかった[10]。なお、小学校の卒業文集では将来アイスクリーム屋かケーキ屋になりたいと書いたものの、担任に柔道について書けと言われて却下された[13]

走ることが大好きで小学校のマラソン大会では毎回トップだったため、兼六中学校へ入学したら陸上部に入りたかったが、道場があったために帰宅部を余儀なくされた[10]。2年の時には全国中学校柔道大会44kg級で3位に入るも、その時1つ年上の姉である松本明子が48kg級で優勝したのに発奮して、翌年の全国中学校柔道大会では2階級上の52kg級に出場して、優勝を果たした[14]

これ以上道場との関わり合いを避けたかったため、高校は金沢から上京して藤村女子高校に進学した[10]。高校1年の3月に全国高校選手権の52kg級に出場するが、3回戦で埼玉栄高校2年の三木千尋に有効を取られて敗れた。高校2年になると57kg級に階級を上げた。8月にはインターハイに出場して決勝まで進むと、道場の1年先輩でその年の世界ジュニアで優勝することにもなる津幡高校3年の広村麻衣を判定(3-0)で破って優勝した[15]

しかし、三井住友海上と合同で練習する藤村女子高校の練習方法が肌に合わず[16]、また、東京の生活が馴染めなかったこともあり[17]、高校2年の10月には郷里の金沢学院東高校に転校することとなった。しかし実際のところは、柔道への情熱を持ち合わせていなかったので遊んでばかりいて、練習もさぼりがちになったため、追い出されたのだという[10]。これを契機に柔道もきっぱり辞めるつもりだった。しかし、柔道の練習がつらくて帰郷したと勘違いしていた姉からやさしい言葉を掛けられたことで、今さら柔道を辞めても自分には何も残らない、中途半端で終わらせてはいけないと思い至って、それからは心を入れ替えて柔道にも自発的に取り組むようになった[10]。高校を途中で変更したため、高校3年の時は全国高等学校体育連盟の規約でインターハイには出場できなかったものの、9月の全日本ジュニアでは、決勝で大阪工大高校1年の牧志津香横四方固で破ったのをはじめ、オール一本勝ちして優勝を果たした[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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