松本荘一郎
[Wikipedia|▼Menu]
松本荘一郎

松本 荘一郎(まつもと そういちろう、嘉永元年5月23日[1]1848年6月23日) - 明治36年(1903年3月19日[2])は、日本鉄道官僚技術者工学博士。幼名は泰蔵。松本烝治の父[1]
目次

1 経歴

2 栄典・授章・授賞

3 脚注

4 参考文献

経歴

播磨国神東郡粟賀村(現在の兵庫県神崎郡神河町)出身[1]箕作麟祥の塾に入り、山田冬蔵・高並大助(後の大井憲太郎)とともに三秀才と称された[3]。家計が窮迫して郷里に帰ることになったが、塾生の大垣藩士上田肇(後の上田聴秋)の尽力で大垣藩士に取り立てられ、大学南校で学ぶことができた[3]1870年(明治3年)、アメリカ留学を命じられ、7年滞在して工学を学んだ[3]

帰国後は東京府御用掛として土木事務を担当し、東京大学工学科教授も務めた[3]1879年(明治12年)、開拓使御用掛となり、炭鉱開掘、鉄道敷設、道路改正、市街整頓、石狩川河口改良などの事業を手掛け、開拓使廃止後も工部権大技長、農務権大技長として引き続き北海道の開拓を進めた[3]1884年(明治17年)に東京に戻って全国の鉄道敷設計画を担当し、工部大技長・鉄道一等技師、鉄道庁部長、同長官、逓信省鉄道技監・鉄道局長、鉄道作業局長官・逓信省鉄道局長を歴任した[1]
栄典・授章・授賞

1890年(明治23年)10月8日 - 従四位[4]

1894年(明治27年)6月19日 - 勲三等瑞宝章[5]

脚注^ a b c d 大日本博士録 工学博士p.1 1930.
^ 『官報』第5913号、明治36年3月23日。
^ a b c d e 西濃人物誌 第一輯pp.121-123 1910.
^ 『官報』第2187号「叙任及辞令」1890年10月11日。
^ 『官報』第3291号「叙任及辞令」1894年6月20日。

参考文献

西濃聯合教育会編 『西濃人物誌 第一輯』 西濃印刷、1910年。

井関九郎 『大日本博士録 第五巻』 発展社、1930年。


更新日時:2018年9月21日(金)08:34
取得日時:2018/11/15 11:06


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:8665 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef