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松本 伊代
別名小園 伊代(こぞの いよ)(本名)
旧姓 :松本[1]
生誕 (1965-06-21) 1965年6月21日(58歳)
出身地 日本・東京都大田区[1][2][3]
学歴戸板女子短期大学卒業[4]
ジャンルアイドル歌謡曲
職業歌手、タレント
活動期間1981年 -
松本 伊代(まつもと いよ[3]、1965年6月21日[3] - )は、日本の歌手、タレント。本名:小園 伊代(こぞの いよ、旧姓:松本)[1][5]。東京都大田区出身[1]。血液型はB型[3]。ビィーカンパニー所属[注釈 1]。
夫はタレントのヒロミ[1]、長男は俳優でタレントの小園凌央[7]。姉はダンスインストラクターで1990年代前半頃には「松本伊代姉」(まつもといよねえ)名義で歌手デビューも果たした。 中学3年生の時、原宿でスカウトされる[1]。翌1981年、第5回長崎歌謡祭にてグランプリを受賞[8]。同年、TBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格しデビュー[1][2][9]。同年10月21日、「センチメンタル・ジャーニー」でアイドル歌手としてもデビューした[1][2][3]。当時のキャッチコピーは「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」[9][10]。翌1982年12月の『第24回日本レコード大賞』新人賞[2]を始め、同年に多くの音楽新人賞を受賞する[3][5]。キャッチコピーの通り、妹的存在として多くのファンを拡大させた[11]。デビュー2年目の1983年には、ドラマ『私は負けない!』の主題歌『時に愛は』などもヒットし[2]、同年末の『第25回日本レコード大賞』ゴールデン・アイドル賞を獲得した。 その後『オールナイトフジ』や『夕やけニャンニャン』の司会を務めるなど数々のバラエティ番組でも活動する[1][2][9]。1986年からは、川村真澄・林哲司・船山基紀による「恋愛三部作」をリリース。 1985年に当時流行っていたタレントショップ「ピンク・バス」を東京渋谷のスペイン坂にオープンした。芸能人の名前を借りて看板だけを掲げて大手スポンサー社が主体となり出店するタレントショップが殆どであったが先駆けて出店した自身の店は自らがデザイン・プロデュースそしてオーナーでスポンサー絡みではない個人店(個人企業の有限会社)であった。1990年に閉店[12]。 1993年11月12日[13]、番組での共演がきっかけとなり[9]、B21スペシャルのヒロミと結婚[1][2][9]。その後、2男の母となる[1][14]。 2005年、1982年の同期デビューだった早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成[2]。 2009年にはアイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美作詞・作曲・プロデュースによる19年振りの新曲「私の声を聞いて」をリリース。配信限定ではあるがシングルカットもされた。 2012年、品川ステラボールにてデビュー30周年記念コンサートを開催した。 2017年2月、京都府警察右京警察署に早見優とともに「1月13日に京都市内のJR山陰本線の線路内に無断で立ち入った」として鉄道営業法違反容疑で書類送検され[15][16]、3月21日に起訴猶予処分となった。
略歴