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ゴッホ『ファンゴッホの寝室』 1889年 オルセー美術館 ルノワール『アルジェリア風のパリの女たち』1872年 国立西洋美術館 モネ『睡蓮』1916年 国立西洋美術館 ロダン『地獄の門』1880 - 1917年 国立西洋美術館
松方コレクション(まつかたコレクション)は、日本の実業家であった松方幸次郎が大正初期から昭和初期(1910年代から1920年代)にかけて築いた美術品コレクション。浮世絵が約8000点、西洋美術が約3000点で総数は1万点を超えていた[1]。現在、浮世絵コレクションは東京国立博物館に所蔵されている。西洋美術コレクションの一部は国立西洋美術館に所蔵されている。目次 川崎造船所(川崎重工業の前身)社長を務めた実業家の松方幸次郎 (1865 - 1950) が1916年頃からの10年余に[2]、イギリス、フランス、ドイツ等で収集した美術コレクションで、西洋近代の絵画・彫刻と日本の浮世絵が主体である。中世ヨーロッパの板絵やタペストリーも含む[3]。 西洋美術コレクション約3000点については散逸・焼失した作品も多い(参考文献の項の『松方コレクション 西洋美術全作品』参照)が、このうち、フランス政府から返還された近代フランス絵画・彫刻等370点を基礎として、1959年に東京・上野に国立西洋美術館が開設された。特にモネの絵画、ロダンの彫刻(『地獄の門』[4]など)がまとまって収集されている。 約8000点の浮世絵コレクションは、美術商の山中定次郎を通じて、フランスの宝石細工師で日本美術コレクターのアンリ・ヴェヴェール 松方は、内閣総理大臣を務めた松方正義の子である。大学予備門(後の東京大学)に進学するが、校内紛争に関わったかどで放校処分となる[要出典]。その後、1884年(明治17年)にアメリカ合衆国へ留学。ラトガーズ大学を経て、エール大学で法学の博士号を取得し、1890年に帰国した[要出典]。帰国後は首相となった父・松方正義の秘書を務めた後、川崎造船所創業者の川崎正蔵に見込まれ、1896年、株式会社へ改組した同造船所の初代社長に就任した[要出典]。川崎正蔵と松方正義は同郷(薩摩藩)の旧友であり、幸次郎の留学費用も川崎が用立てていた[要出典]。 第一次世界大戦に伴う船舶需要の高まりを受け、松方は積極経営で業績を拡大していった[要出典]。松方が美術品収集を開始したのは、1916年(大正5年)3月から1918年にかけての欧州滞在時のことである[要出典]。松方はアメリカ経由でイギリスの首都ロンドンへ向かった[要出典]。この渡航は、川崎造船所のために貨物船の売り込みや鉄などの資材の買付をすることが主目的であった[要出典]。 美術品収集を始めた経緯については諸説あるが、ロンドンの画廊で、興味本位で絵画を購入したことがきっかけであったという[要出典]。
1 概要
2 収集の経過
3 コレクションの行方
3.1 返還の経緯
4 コレクションの研究
5 主な作品
5.1 国立西洋美術館所蔵
5.2 ブリヂストン美術館所蔵
5.3 その他
5.4 フランスに残された作品
6 脚注
7 参考文献
7.1 書籍・図録
7.2 雑誌記事
8 関連文献
9 関連項目
10 外部リンク
概要
収集の経過