この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "松平康爵"
凡例松平康爵
時代江戸時代後期
生誕文化7年6月6日(1810年7月7日)
死没慶応4年5月8日(1868年6月27日)
戒名寛隆院殿温誉誠円徳潤大居士
墓所東京都港区虎ノ門の天徳寺
官位従五位下左近将監、周防守
幕府江戸幕府
主君徳川家斉→家慶→家定
藩石見浜田藩主、陸奥棚倉藩主
氏族松井松平家
父母父:松平康任、母:松平康定の娘
兄弟康寿、康爵、康圭、達、聡子、知姫、簾子、愛姫、小出英発正室
妻正室:稲葉雍通の娘
子九鬼隆義継室、康済
養子:康圭、新庄直彪正室
テンプレートを表示
松平 康爵(まつだいら やすたか)は、江戸時代後期の大名。石見国浜田藩主、陸奥国棚倉藩主。官位は従五位下左近将監、周防守。松井松平家9代。 文化7年(1810年)、浜田藩の先代藩主・松平康任の次男として誕生。天保2年(1831年)8月26日、兄・康寿の早世により嫡子となる。同年11月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・左近将監に叙任する。父が国禁とされている密貿易(竹島事件)によって天保6年12月9日(1835年)に強制隠居の上で永蟄居処分となったため、その跡を受けて家督を相続した。しかし密貿易による処罰はなおも続き、天保7年(1836年)3月12日に陸奥棚倉に懲罰的な移封を命じられた。 嘉永7年(1854年)9月16日、家督を弟で養子・康圭に譲って隠居する。慶応4年(1868年)5月8日に死去した。享年59。 父母 正室 子女
生涯
系譜
松平康任(実父)
稲葉雍通の娘
松平康済
九鬼隆義継室
表
話
編
歴
松井松平家浜田藩藩主(1835年 - 1836年)
古田家
古田重治1619-1623
古田重恒1623-1648
無継嗣、改易
松井松平家
松平康映1649-1674
松平康宦1675-1705
松平康員1705-1709
松平康豊1709-1735
松平康福1736-1759
下総古河藩に転封
本多家
本多忠敞1759
本多忠盈1759-1767
本多忠粛1767-1769