凡例松平信治
時代江戸時代前期 - 中期
生誕延宝元年(1673年)
死没享保9年3月29日(1724年4月22日)
改名助十郎(幼名)→重秀(初名)→信治
墓所東京都台東区下谷の英信寺
官位従五位下下野守
幕府江戸幕府
主君徳川綱吉→家宣→家継→吉宗
藩駿河小島藩
氏族戸田氏→滝脇松平家
父母父:戸田重恒
松平 信治(まつだいら のぶはる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。駿河国小島藩の第2代藩主。滝脇松平家9代。官位は従五位下・下野守。 6400石の旗本・戸田重恒
略歴
元禄3年(1690年)に先代藩主・信孝が死去した際、母方で甥に当たることからその養嗣子となって跡を継いだ。宝永元年(1704年)、陣屋を小島に移した(小島陣屋)。このため、正式に小島藩となったのは、この信治の時代からである。また、奥詰・御小姓・大番頭となった。
宝永2年(1705年)から麻畑沼(麻機沼)の新田開発を巡って知行地である瀬名の農村と請負人の商人らとの約90年に及ぶ新川事件が始まる[1]。
2人の男児をもうけたがいずれも早世したため、享保9年(1724年)3月29日に信治が52歳で死去した後、家督は従弟で養嗣子の信嵩が継いだ。墓所は東京都台東区下谷の英信寺。 父母
系譜
戸田重恒
松平典信の娘(実母)
松平信孝(養父)
正室
田村建顕の娘
子女
戸田忠位正室
養子
松平信嵩 ー 松平信庸の六男
脚注[脚注の使い方]^ 静岡古文書研究会『新川事件の真相 駿州庵原郡瀬名村』(2010年、P8)
表
話
編
歴
滝脇松平氏小島藩2代藩主 (1690年 - 1724年)
松平信孝1689-1690
松平信治1690-1724
松平信嵩1724-1731
松平昌信1731-1771
松平信義1771-1800
松平信圭1800-1815
松平信友1815-1836
松平信賢1836-1851
松平信進1851-1863
松平信書1863-1864
松平信敏1864-1868
駿府藩の一部になり、廃藩