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をお願いします。(2020年5月)松平 乗承(まつだいら のりつぐ、嘉永4年12月8日(1851年12月30日) - 昭和4年(1929年)7月13日)は、明治から昭和時代初期の政治家、華族。子爵、貴族院議員。三河国西尾藩主松平乗全の五男。妻は大河内輝声の娘、みち子。子に松平乗統。目次 叔父で最後の藩主松平乗秩の養子となる。明治6年(1873年)に養父の死を受けて家督を継ぎ、明治10年(1877年)、大給恒、佐野常民、桜井忠興らと博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力。明治14年(1881年)に宮内省御用掛となり、明治17年(1884年)7月3日には太政官御用掛に就任、修史館勤務となる。同年7月8日、子爵を叙爵[1]。同年12月に第二局に移動となるが、明治18年(1885年)3月麻疹にかかり辞職する。明治20年(1887年)、日本赤十字社に入り、第四回赤十字国際会議にドイツ留学中の森?外と出席する。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員となり研究会に属し、大正14年(1925年)7月まで務めた。大正2年(1913年)日本赤十字社副社長に就任し、大正7年(1918年)まで務めた。昭和4年(1929年)、79歳で没した。 [脚注の使い方] 日本の爵位
1 生涯
2 栄典
3 参考文献
4 出典
5 外部リンク
生涯
栄典
1895年(明治28年)12月25日 - 勲三等旭日中綬章[2]。
1916年(大正5年)4月1日 - 旭日重光章[3]
外国勲章佩用允許
1927年(昭和2年)4月19日 - ドイツ国:赤十字第一等名誉章[4]
参考文献
『日本人名大辞典』(講談社刊)
衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
出典
^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
^ 『官報』第3778号「叙任及辞令」1896年2月5日。
^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。
外部リンク
松平乗承近影 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
先代:
叙爵子爵
(西尾)松平家初代
1884年 - 1929年次代:
松平乗統
表
話
編
歴
大給松平家第16代当主(1873年 - 1929年)
宗家
乗元 - 乗正 - 乗勝 - 親乗 - 真乗 - 家乗 - 乗寿 - 乗久 - 乗春 - 乗邑 - 乗祐 - 乗完 - 乗寛 - 乗全 - 乗秩 - 乗承 - 乗統 - 乗光 - 乗忠 -
分家・支流
乗政流
乗政 - 乗紀 - 乗賢 - 乗薀 - 乗保 - 乗美 - 乗喬 - 乗命 - 乗長 - 乗文 - 乗昌 -