松岡由貴
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元グラビアアイドルの「松岡由樹」とは別人です。

まつおか ゆき
松岡 由貴
プロフィール
本名松岡 由貴[1]
愛称ゆきちゃん[2]、ゆき姉[2]、まつゆき[2]
性別女性
出身地 日本大阪府大阪市東住吉区(現平野区域)[2]
生年月日 (1970-09-13) 1970年9月13日(53歳)
血液型A型[3]
職業声優タレント
事務所ぷろだくしょんバオバブ[4]
公式サイト ⇒松岡 由貴|株式会社 ぷろだくしょんバオバブ
公称サイズ(時期不明)[5]
身長 / 体重156 cm / 45 kg

声優活動
活動期間1998年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替えラジオナレーション
デビュー作シャカチック(『夢のクレヨン王国』)[6]
タレント活動
活動期間1979年 -
ジャンル舞台CMバラエティ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

松岡 由貴(まつおか ゆき、1970年9月13日[2][7] - )は、日本女性声優タレント大阪府大阪市東住吉区(現平野区域)出身[2]ぷろだくしょんバオバブ所属[4]
来歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の文章は日本語として不自然な表現、または文意がつかみづらい状態になっています。文意をわかりやすくするよう、修正が必要とされています。(2024年2月)

大阪での活動

幼少期は内気で人の後ろに隠れて挨拶もできないような大人しい子供であり、両親も「せめて挨拶だけでもできるようになれば」と養成所に入所させたと語る[8]。小学3年生から子役としてタレント活動をしていた[8]。レッスンはあまり好きではなかったが、オーディションは楽しかったという[8]。当時、子役には「上手にやること」は期待されていなかったことからプレッシャーもなく、むしろそこはかとない「緊張感」が気持ちよかったが、大人になり2011年時点では苦手という[8]

子役のオーディションの内容はほとんど質疑応答で、1人で知らない場所にはいけないことから母が会場までついてきてくれていた[8]。しかし「ステージママ」的に「がんばってくるのよ!」のようなことは言われず、「お茶飲んで待ってるから、行ってきなさい」という感じだった[8]。当時の合否の結果ついてはその場で分かる時もあれば後で結果を知らされることもあったが、わりとあっさり受け止めていた[8]。合格すればうれしかったが、自信満々だった子供が落選して松岡が通った時「なんで由貴ちゃんなの??!」と感情むき出して悔しがる子供もいたことから、冷めていたんだと語る[8]。他の子供が通って松岡が落選した時も「まあ、そんなもんだろう」と思ったという[8]

あるオーディションで「ドラえもんポッケの中から何が出てきたら嬉しい?」という質問があり、周囲の子供が「どこでもドア」、「タイムマシン」などと言う中で松岡1人「呪いのカメラ」と答えていた[8]。その時に「ええっ?」と驚かされて、理由を説明していたところそれが面白かったようで合格し、このことを忘れられないオーディションのひとつと語っている[8]

子供の頃から劇団に所属し[9]、1979年、9歳の時に当時若手だった明石家さんまとの共演による[10]チロルチョココマーシャルでデビュー[11]。当時の母は子役として活動する松岡に特別なことはしなかった[8]。しかし唯一言われたのは「プロ意識を持て」ということで、親だったとしても「仕事をするからにはきちんと意識を持って臨みなさい」というきっかけだった[8]。明石家さんまと前述のCMに出演していた時も、「サインがほしいから色紙を持って行きたい」と言ったところ「遊びに行くわけじゃない、お仕事なんだから」と怒られたという[8]

テレビに出演していると良くも悪くも周囲から目立ってしまった[8]。同じようなことを色々な人物から何度も何度も聞かれたりすると、ストレスになることもあった[8]。小学5年生の時に一緒にいた友人が転校してからは周囲の友人のアクティブさについていけず、途方に暮れていた時期があった[8][12]。その頃から、自分が変わり、仲間と過ごしているうちに内向的な性格から一気に外向きな性格になった[12]

中学時代、自分の意志で母に「もう一度きちんとお芝居の勉強をしたい」と言って劇団に入団[12]。中学時代に一度エキストラの仕事を断っており、母に「あんた、今のは何?」と聞かれ、「なんかやりたくなかったからエキストラの役、断った」と言っていたところ、滅多に怒らなかった母が「あんたがこれからやろうと思っている役者という仕事は、親が死んでも舞台では笑っていなけりゃいけないの! やる気がないなら今すぐ辞めなさい。そうじゃないなら今すぐお仕事を受けなさい!」と声を荒げて激怒していた[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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