松岡 享子
(まつおか きょうこ)
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
誕生 (1935-03-12) 1935年3月12日
日本・兵庫県神戸市
死没 (2022-01-25) 2022年1月25日(86歳没)
日本・長野県茅野市
職業文学研究家
児童文学作家
翻訳家
図書館員
言語日本語
国籍 日本
民族大和民族
教育Master
(西ミシガン大学・1963年)
最終学歴西ミシガン大学
大学院修士課程修了
ジャンル児童小説
代表作『くまのパディントン』
(1967年)
主な受賞歴サンケイ児童出版文化賞
(1969年)
日本絵本賞翻訳絵本賞
(1997年)
巖谷小波文芸賞
(1999年)
デビュー作『しろいうさぎとくろいうさぎ』
(1965年)
所属ボルチモア市立
イーノック・プラット公共図書館
松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日[1] - 2022年1月25日[2])は、日本の図書館員、文学者(児童文学)、児童文学作家、翻訳家。学位はMaster(西ミシガン大学・1963年)。公益財団法人東京子ども図書館名誉理事長、文化功労者。
ボルチモア市立イーノック・プラット公共図書館、大阪市立中央図書館での勤務を経て、「松の実文庫」を創設し、財団法人東京子ども図書館理事長(初代)などを歴任した。 兵庫県出身の翻訳家、児童文学研究者である。ビバリー・クリアリーの「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(学習研究社)や、マイケル・ボンドの「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)の翻訳で知られる。私設図書館として松の実文庫を創設し、のちに東京子ども図書館を設立し理事長を務めた。さらに東洋英和女学院大学で教鞭を執り、児童文学について講じた。 1935年、兵庫県神戸市に生まれた。父は神戸の汽船会社に勤務、母は専業主婦をしており、両親ともに和歌山県出身であった。また、8歳年上の姉がいる[3]。山手小学校、 粉河小学校、垂水小学校、霞ヶ丘中学校、兵庫県立星陵高等学校を経て、兵庫県立神戸高等学校を卒業。1957年、神戸女学院大学文学部英文学科を卒業。1960年、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業。慶應義塾大学図書館学科の図書室で働いた後、渡米しウェスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、1963年に修士課程を修了した。メリーランド州・ボルティモア市の公共図書館で児童図書館員として勤めた後、1963年の秋に帰国し福音館書店でアルバイトをする。この頃、瀬田貞二、石井桃子、土屋滋子 1966年に退職して東京の実家に戻る。その後、1967年に自宅で家庭文庫「松の実文庫」をひらいて[4]、子どもたちに接しながら、児童文学の研究、翻訳、創作に従事する。1974年、石井桃子らとともに、財団法人東京子ども図書館を設立し、設立時より40年以上に渡って理事長を務めたが、2015年6月任期満了をもって退任し、終身名誉理事長[5]。 35歳の1970年から約30年間にわたり、アジアの子どもたちに共通の読み物を作る、ユネスコのアジア共同出版計画事業にかかわる。2003年までユネスコ・アジア太平洋文化センター評議員。 1989年には国際識字年 また、東洋英和女学院大学で約12年間、児童文学の教鞭をとった。 2015年、母校の神戸女学院大学から名誉学位(文化博士)を授与[7]。 2022年1月25日、病気のため長野県茅野市の病院で死去[2][9][10]。86歳没。没日付で従四位に叙され、旭日中綬章を授与される[11]。
概要
来歴
生い立ち
東京子ども図書館
その他の活動
賞歴
出典:[6]
サンケイ児童出版文化賞(第16回)〔1969年〕「くしゃみくしゃみ天のめぐみ」
児童福祉文化賞(「とこちゃんはどこ」で、1971年)[12]
子ども文庫功労賞(第3回,1981年度)
エイボン女性年度賞教育賞〔1990年〕
博報賞
日本絵本賞翻訳絵本賞〔1997年〕「だちょうのくびはなぜながい?」
巖谷小波文芸賞(第22回)〔1999年〕
図書館サポートフォーラム賞(第8回)〔2006年〕
栄典
文化功労者〔2021年〕
著書
『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』寺島龍一画 福音館書店 1968
『えほんのせかいこどものせかい』児童図書館研究会 1969
『とこちゃんはどこ』加古里子絵 福音館 こどものとも 1970