松山観光港
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「高浜港」はこの項目へ転送されています。愛知県にある名鉄三河線の高浜港(たかはまみなと)駅については「高浜港駅」をご覧ください。
松山観光港ターミナルビル

松山港(まつやまこう)は、愛媛県松山市にある港湾。港湾管理者は愛媛県。港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。万葉集に歌われた「熟田津」(にぎたつ)は松山港のうちの古三津に当たるとも考えられており、古くから瀬戸内海交通の重要拠点とされてきた。松山観光港、高浜港、三津浜港、堀江港、松山外港、今出港を含む。それぞれの港についても当項で記載する。

現代においても長距離フェリーや国際コンテナ船などが多く寄港する主要港として発展を続けている。
港湾区域

松山市堀江町花見川河口左岸護岸突端(北緯33度54分2秒、東経132度44分30秒)から大ノ頭島(島頂)を経て興居島神崎鼻先端まで引いた線、同市西垣生町重信川河口右岸堤防基部(北緯33度48分12秒、東経132度41分34秒)から270度800メートルの点を経て興居島黒崎鼻の先端まで引いた線及び陸岸により囲まれた海面のことをいう。ただし、高浜漁港及び泊漁港を除く。この中に堀江港、松山観光港、高浜港、三津浜港、松山外港、今出港がある。
主な施設
松山観光港

松山観光港ターミナル株式会社種類株式会社
本社所在地 日本
791-8081
愛媛県松山市高浜町5丁目2259-1
設立1998年平成10年)4月23日
業種不動産業
法人番号5500001003723
事業内容港湾ターミナルビルの管理・運営
乗車券の販売受託
旅行代理店事業等
代表者代表取締役社長 一色 昭造
資本金6億円
従業員数6名(令和2年4月時点)
主要株主愛媛県 44.18%
松山市 22.09%
伊予鉄グループ 8.15%[1]
外部リンク ⇒http://www.kankoko.com/
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松山観光港(まつやまかんこうこう)は、カーフェリーをはじめとした船舶の大型化に伴って高浜港(後述)が手狭になったために、高浜港の北に新たに設けられたもので、通称は観光港。当初は高浜新港と呼ばれた。現在の旅客ターミナルの建物は2000年平成12年)10月7日にオープン[2] した二代目である。現在のターミナル建て替えにあたっては地方自治体(愛媛県松山市)、地元交通企業および建て替え時点の就航会社(伊予鉄道石崎汽船瀬戸内海汽船関西汽船ダイヤモンドフェリー)および金融機関伊予銀行愛媛銀行愛媛県信用農業協同組合連合会)が出資[3] した第三セクターの松山観光港ターミナル株式会社1998年に設立され、建て替え工事完成後は同ターミナルの管理・運営を行っている。

伊予鉄道高浜線高浜駅より連絡バス約2分または徒歩約10分。松山市内直行の松山観光港リムジンバスもあるが、2024年3月現在、後述の通り一部を除いて運休中である。

イメージキャラクターとしてJINCO作の「まつやまかんこっこ」が採用されている。

石崎汽船・瀬戸内海汽船(共同運航)

スーパージェット・クルーズフェリー呉港経由広島港宇品)行き)


松山・小倉フェリー

松山 - 小倉航路(小倉港行き)


中島汽船

東線旅客フェリー航路(睦月港(睦月島)、野忽那港(野忽那島)経由大浦港(中島)行き[注 1]



ターミナルビルから見た岸壁。各航路の船舶が停泊している。

ターミナルビル内部(船客待合所)

高浜港開港式当日の高浜風景(1906年9月12日)港湾の様子(中島汽船のフェリーが出港中)

高浜港(たかはまこう)は、明治20年代に開かれた港である。

もともと松山港は、三津浜地区が藩政期からの港であったが、高浜が興居島を前面にした天然の良港であることから、1892年(明治25年)に伊予鉄道が高浜へ鉄道を伸ばした。ところが満足な港湾設備がなかったことから、さしたる利用はなく、1902年宇品航路が開設された際も、三津浜港(後述)を寄港地としていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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