松山英樹
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 松山 英樹 Hideki MATSUYAMA

基本情報
名前松山 英樹
生年月日 (1992-02-25) 1992年2月25日(32歳)
身長181 cm (5 ft 11 in)
体重90 kg (198 lb)
国籍 日本
出身地 愛媛県松山市
経歴
大学東北福祉大学
プロ転向2013年
現在のツアーPGAツアー
プロ勝利数17
優勝数
PGAツアー9
メジャー選手権最高成績

マスターズ優勝(2021)
PGA選手権4位タイ(2016)
全米オープン2位タイ(2017)
全英オープン6位タイ(2013)
受賞
日本ツアー賞金王2013
成績
初優勝三井住友VISA太平洋マスターズ(日本ツアー:2011年
メモリアル・トーナメント(PGAツアー:2014年
世界ランク最高位2位(2017年6月18日)
賞金ランク最高位日本ツアー:1位(2013年)
PGAツアー:4位(2016-2017年)
日本プロゴルフ殿堂 殿堂表彰者
選出年2022年
選出部門特別賞
2018年1月3日現在
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獲得メダル
男子 ゴルフ
日本
ユニバーシアード
2011 深?個人
金2011 深?団体

松山 英樹(まつやま ひでき、1992年2月25日 - )は、日本プロゴルファーレクサストヨタ自動車)所属[1]

日本人最年少マスターズ予選通過者(当時19歳)。アマチュア時代には、日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズ・トーナメントの出場権を獲得し、2011年には同大会のロー・アマチュア(アマチュア選手最高成績)タイトルを獲得した。

日本ツアーで史上初ルーキーイヤー賞金王。ルーキー最多タイの年間4勝。史上最速(16試合)での年間獲得賞金2億円突破[2]

PGAツアーで日本人として史上最年少優勝(22歳)及びアジア生まれの選手で最多優勝(9勝)記録を持つ。アジア人史上初のマスターズ・トーナメント優勝者[3]
経歴

愛媛県松山市出身。松山市立雄郡小学校[4]卒業後、明徳義塾中学校・高等学校を経て、東北福祉大学卒業。
アマチュア時代

4歳のときに、日本アマ出場経験もある父親の影響でゴルフを始める。中学2年のときに「ゴルフをやる環境を整える」目的で、ゴルフ部のある明徳義塾中学校に転校した。

明徳義塾高等学校時代の2008年には全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝し、日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれるなど頭角を現す。

2010年東北福祉大学に進学。同年のアジアアマチュア選手権で日本人として初の優勝を遂げ、翌年のマスターズ出場権を獲得。翌週の日本オープンでも並み居るプロゴルファーを従え3位に入りローアマチュアを獲得した。

2011年にはマスターズに出場。予選も通過し、日本人としては初めてローアマチュアを獲得した。同年8月に中国広東省深?で開催された第26回夏季ユニバーシアードでは個人で金メダル、藤本佳則小袋秀人・富村真治とともに団体でも金メダルを獲得[5]。同年11月には、三井住友VISA太平洋マスターズ倉本昌弘石川遼に次ぐ3人目のアマチュアでの日本ツアー優勝を果たした[6]

2012年には、R&Aによって創設された世界アマチュアゴルフランキングで日本人初の1位を獲得する。
プロ転向

2013年4月2日にプロ転向を表明。ただし大学のゴルフ部の主将は引き続き務め、プロとしても当面「東北福祉大学所属」としてプレーするとした。協会との事務手続きやホテルの手配などは東北福祉大学側が全面的にサポート。キャディは同大学OBでプロキャディ経験も豊富な進藤大典、トレーナーも同大学OBの金田相範で、基本的に3人チームでルーキーイヤーを戦う[7]
2013年

4月25日から4月28日、つるやオープンゴルフトーナメントでは、最終日首位と2打差の2位からスタート。後半15番で首位に並ぶと、上がり4ホール連続バーディーを含む逆転優勝を飾る。プロ転向2戦目での優勝は、1999年JGTO「日本ゴルフツアー機構」発足後では、従来の5試合を抜きツアー最短記録[8]。JGTO設立以前では、1979年中四国オープンにプロデビュー戦の重信秀人が、1981年日本国土計画サマーズでは、松山と同じプロ転向2戦目の倉本昌弘がそれぞれ優勝している[8][9]

5月30日から6月2日、ダイヤモンドカップゴルフ最終日、首位タイからスタートした松山がそのまま何とか逃げ切り、トータル9アンダーまでスコアを伸ばして今季2勝目を挙げた。

6月13日から6月16日、全米オープンでは10位タイに入り、次年の全米オープン出場権を獲得。

7月18日から7月21日、初の全英オープン に出場し、6位タイの成績を収めた。3日目にはスロープレーにより1打罰を課せられ物議を醸した[10]海外メジャーにおいて、二戦連続で10位以内という日本人初の記録を残した。

9月5日から9月8日、フジサンケイクラシック最終日、4打のリードを持ちながら後続に追いつかれプレーオフに突入。苦しみながらも今季3勝目を手にした。

9月28日、震災復興を支援する基金設立を発表。今後出場する国内外の全試合で、バーディー1つに1万円、イーグル1つに2万円を積み立てる予定。これを被災した子供たちの役に立てたいと考えている[11]

10月3日から10月6日、米国選抜vs世界選抜(欧州国籍の選手を除く)による団体戦・プレジデンツカップに出場。世界選抜は10名が世界ランキングの上位から自動的に選出され、松山はアダム・スコット オーストラリア)、アーニー・エルス 南アフリカ共和国)らに続き6番目での堂々の選出となった[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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