松山東雲中学・高等学校(まつやましののめちゅうがく・こうとうがっこう)は、愛媛県松山市大街道三丁目に所在する私立女子中学校・高等学校。2016年度から愛媛県内の中学校・高等学校で唯一の男女別学となる。 四国で最初に設立された女子校で、プロテスタント系のミッションスクールである。1886年にキリスト教主義による私立「松山女学校」を創立する。建学の精神は「キリスト教の信仰に人格形成の基礎をおいた女子教育を行う。」で校訓として継承されている。1986年に創立100周年を迎えた。 松山城の近隣にある学校として、正門は城郭風にデザインされている(1928年築)[1]。敷地の坂を上った山にグリーンチャペル[1]、校舎にチャペル[1]があり朝礼や行事で使用する。 2000年に6年一貫校(併設型)へ移行する。 各クラスは「◯◯ホーム」と担任教師の名前で呼称される[5]。 中学校は6年間を見通した進捗を目指す[6]。高等学校は内部の中学校から進学した生徒と、外部の中学校から入学した生徒と混合クラスになる。少人数による個別指導を徹底させ、公立大学・難関私立大学の合格を目指す「特別進学コース」[6]。勉強と部活動に力を入れ、資質や特技を活かした進路実現を目指す「進学コース」がある[6]。 課業日は朝にクラスごとの礼拝が行われるが、讃美歌、聖書で読む箇所、フリートークなどを考えて、一人ずつ順に級友の前へ出て担当する。学年ごとの礼拝や、クリスマスなど年に数回中学校・高等学校合同の礼拝も存在する。 中学校・高等学校共に必ず週1回は宗教の授業があり、中間や期末テストも行われる。 資格取得を目指し、英語暗誦大会(マドンナ・レシテーション・コンテスト)が行われている[5] 1年間または1か月の留学制度(松山北ロータリークラブによる)があり、学校内の審査によって選ばれる。
概要
沿革二宮邦次郎C・ジャジソン
1886年9月16日 - 松山教会の二宮邦次郎牧師によってキリスト教主義による私立松山女学校創立。(四国最初の女子校)
1887年 - 創立1周年開校式で遠田ステが生徒代表で祝辞を読む。(小説『坊っちゃん』マドンナのモデル)
1890年 - 二番町に二階建の洋風校舎を新築し、移転。
1892年 - 第1回卒業式を行う。
1900年 - 「雪びら」を校章とする。
1901年 - シドニー・ギューリックが英語教師となる(1904年まで)[2]。
1906年 - 米国伝道教会に経営が移り、コーネリア・ジャジソンが第2代校長に就任[3]。
1913年 - 大街道の現在地、赤十字病院跡を購入。
1918年 - はじめて校章〔みつば〕を配る。
1920年 - 現在地に移転。
1921年 - 「お山のバザー」がはじめて開かれる。
1926年 - 創立40周年。校歌制定。
1927年 - 体操館、宣教師館完成。
1928年 - 校門完成。
1929年 - 新渡戸稲造来校。4月25、26日に体操館で講演を行う[4]。
1931年 - 家政館完成。
1932年 - 高等女学校令に基づき、松山東雲高等女学校に改称。専攻科 家政・英語も併設。(東雲とは「女子教育の曙」の意と所在地の地名)
1935年 - 財団法人組織となる。
1936年 - 創立50周年記念祝典礼拝を行う。
1943年 - 五箇条の校訓を制定。
1945年 - 松山空襲で、校舎は正門を残して全焼。
1947年 - 学制改革により、新制の松山東雲中学校を設置。
1948年 - 松山東雲高等学校(普通科)を発足。 教会の礼拝出席を奨励。週5日制を始める。
1949年 - 学校法人への機構改革。家政館・体育館・チャペルなど整備。中高生の通学服を制定。
1953年 - 生徒が無監督試験を始める。寄宿舎(めぐみハウス)完成。
1957年 - 生徒会の活動により、グリーンチャペル(野外礼拝場)ができる。
1960年 - アメリカ留学を始める。
1966年 - 創立80周年。
1968年 - 幼・中・高・短大の総合学園となる。
1969年 - 本館完成。第1回クローバーデイ。(バザーと文化祭を合体)
1981年 - 高等学校に英語科設置。
1986年 - 創立100周年。100周年記念館完成。
1990年 - 通学服を森英恵(モリハナエ)デザインの服装に改める。
2000年 - 6年一貫校(併設型)に移行。
2001年 - 高等学校英語科を英語情報科に改組。
2016年 - 創立130周年。
学校生活
クラス
宗教
英語
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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