松居直
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松居 直(まつい ただし、1926年10月5日 - 2022年11月2日)は、日本の編集者、出版事業家、児童文学者
来歴・人物

京都府京都市生まれ[1][2]近江商人の家系に生まれる。6人姉兄弟で長姉は1914年生まれ。幼時より上村松園竹内栖鳳などの作品に接して育つ。

須田国太郎は叔父で、若いころ彼のアトリエに入り浸っていたこともある。また国太郎の息子で東海旅客鉄道元社長の須田ェとは親戚にあたる。

同志社大学法学部政治学科を卒業する直前、24歳のとき、自宅に下宿していた佐藤身紀子と恋仲になったことがきっかけで、身紀子の父佐藤喜一の経営する福音館書店の編集者となった。のち身紀子は妻となる。

このとき実験的に作った「福音館小辞典文庫」シリーズが成功を収めたため、翌1952年2月、佐藤と共に正式に福音館書店を発足させた。佐藤は社長、松居は編集長となり、月刊『母の友』(1953年創刊)、『こどものとも』(1956年創刊)などを手掛ける。

以後、自らの美術的素養の深さを生かして、当時無名だった赤羽末吉いわさきちひろ田島征三安野光雅堀内誠一長新太などの才能を発掘した。子供の絵と大人の絵が截然と区別されていた時代だったにも拘らず、児童書に秋野不矩朝倉摂佐藤忠良丸木俊堀文子といった当代一流の画家たちを起用したのも松居の見識による。

作家に対しても、デビュー後さっぱり売れていなかった寺村輝夫の原稿を二度も没にし「あなたが面白いと思うものを書いていいんですよ」と開眼させ、「ぞうのたまごのたまごやき」つまり後の大人気作『ぼくは王さま』を生み出す手助けをした。ディック・ブルーナの「ナインチェ・プラウス(ミッフィー)」を「うさこちゃん」として日本に初めて紹介した人物でもあり、海外の絵本や児童文学の翻訳出版にも努めた[3]

ぐりとぐら』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』など多くのロングセラーを世に送り出した[1][2]

1968年、福音館書店社長に就任。社長就任後まもなく、東洋英和女学院短期大学保育科の非常勤講師となり、以後1993年まで多くの大学児童文学や絵本論を講義。

1985年、会長に就任。1997年に退任後は相談役。児童文学研究者としての著作も多い。NPOブックスタート理事長、財団法人大阪国際児童文学館理事長。

1957年に『こどものとも』創刊号から11号に対して第4回産経児童出版文化賞、1965年に絵本『ももたろう』で産経児童出版文化賞、1993年にモービル児童文化賞を受賞。1996年に日本児童文芸家協会から「児童文化功労者」として表彰。1997年にキリスト教視聴覚教育センター(AVACO)のキリスト教視聴覚教育省を受賞[4]2014年キリスト教功労者を受賞[5]

「子どもの本・九条の会」代表団員を務めている[6]

2022年11月2日19時、東京都内の病院にて老衰のため死去[7][8]。96歳没。
家族・親族


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