松尾崇
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日本政治家松尾 崇まつお たかし
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1973-09-06) 1973年9月6日(50歳)[1][2]
出生地 日本 神奈川県鎌倉市[2]
出身校日本大学経済学部経済学科[1][2]
前職神奈川県議会議員[1][2]
所属政党無所属[2]
公式サイト ⇒松尾たかし公式サイト/鎌倉市長
神奈川県鎌倉市長
当選回数4回
在任期間2009年11月1日[1][2] - 現職
神奈川県議会議員
選挙区鎌倉市選挙区
当選回数1回
在任期間2007年4月30日 - 2009年
鎌倉市議会議員
当選回数2回
在任期間2001年5月15日 - 2007年
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松尾 崇(まつお たかし、1973年昭和48年〉9月6日 - )は、日本政治家神奈川県鎌倉市長(4期)。元神奈川県議会議員(1期)、元鎌倉市議会議員(2期)[1][2]
来歴

神奈川県鎌倉市生まれ。鎌倉市立西鎌倉小学校鎌倉学園中学校・高等学校日本大学経済学部経済学科卒業。大学在学中は小林晃(商学者)の貿易論のゼミに所属する[3]1996年日本通運入社。通関課配属。1999年、退社[1][2]2000年1月、元官僚の江田憲司の秘書となる[2]。なお江田は同年6月の第42回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。

2001年4月22日、鎌倉市議会議員選挙に出馬し、史上最年少でトップ当選を果たした。2005年、鎌倉市議再選。

2007年、市議を任期途中で辞職。同年4月8日執行の神奈川県議会議員選挙に鎌倉市選挙区(定数2)から出馬し、トップ当選。
鎌倉市長

2009年4月の鎌倉市議会議員選挙に際し、石渡徳一市長の後援会関係者が陣中見舞いとして候補者に現金を渡していたことが発覚。このため同年10月の市長選挙に向けての石渡の3選出馬が危ぶまれることとなった[4]

同年6月9日、元県議の渡辺光子が任期満了に伴う鎌倉市長選挙に立候補する意向を表明[4]。6月25日、石渡に対する辞職勧告決議案が可決[5][6]。7月25日、松尾も市長選出馬を表明した。8月30日に行われた衆院選神奈川4区では、民主党新人の長島一由が初当選。同党を除籍され、みんなの党から出た浅尾慶一郎が比例復活で当選。自民党現職の林潤は次点で落選した。石渡は市長選不出馬の道を選んだ。

同年10月25日執行の鎌倉市長選挙に、浅尾や江田憲司などみんなの党の国会議員の支援を受けて立候補。民主党神奈川ネットワーク運動推薦、社会民主党支持の渡辺には長島がついたため、この年の市長選は長島と浅尾の「代理戦争」とも呼ばれた[7]。松尾が渡辺を大差で破り、初当選を果たした[8][9]

※当日有権者数:147,371人 最終投票率:44.60%(前回比:?2.89pts)


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