松尾和子
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この項目では、主に昭和中期に活躍した歌手の松尾和子について記述しています。その他の同名の人物については「松尾和子 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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松尾 和子
生誕 (1935-05-17) 1935年5月17日
死没 (1992-09-25) 1992年9月25日(57歳没)
ジャンルジャズ、ムード歌謡、歌謡曲
職業歌手
レーベルビクター
著名な家族大橋喬(元夫)

松尾 和子(まつお かずこ、1935年5月17日 - 1992年9月25日)は、日本の歌手。
略歴

東京市蒲田区(現東京都大田区蒲田)生まれ、箱根育ち。

戦後、ジャズに惹かれたことと自身および家族の生活のために歌手となり、レイモンド・コンデのバンド、ゲイ・セプテットの専属歌手のひとりとなる。進駐軍のキャンプやナイトクラブなどで歌ううち、徐々に人気が上がっていき、やがて赤坂のクラブ・リキ(力道山が経営していた。)の専属歌手となり歌っていたときに、フランク永井に認められスカウト。吉田正に紹介されて、ビクターに入社。

1959年には「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」でレコードデビュー。「グッド・ナイト」は和田弘とマヒナスターズ、「東京ナイト・クラブ」はフランク永井との共唱。当時の日本ではベテラン/人気歌手でも片面はほかの歌手というスプリット盤の形態をとる場合が多く、ビクターおよび吉田正の期待のほどがうかがえる。1960年には「グッド・ナイト」が1959年度のビクターの年間ヒット賞を受賞[1]。そして第2弾として発売した「誰よりも君を愛す」(マヒナとの共唱)が大ヒットし、それとともに「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」もつられるかたちで大ヒット。「誰よりも君を愛す」は第2回日本レコード大賞を受賞、「東京ナイト・クラブ」はその後長らくデュエットソングの定番として根強い人気を博し、松尾の名は一躍スターダムへとのし上がり、のちにムード歌謡の女王と称されるようになった。

1960年にはソロで吹き込んだ「再会」がヒット。その後も「夜がわるい」「お座敷小唄」「再会の朝」「銀座ブルース」とコンスタントにヒット曲を出していった。

私生活では歌手デビュー前の1958年にドラマーの大橋喬と結婚、1963年には長男・政和が生まれるが、1966年に大橋と離婚したあたりから人気が下降していく。

1971年ごろには大学生を中心に熟女ブームのようなものが巻き起こり、五月みどりらとともに人気が再燃、「オナペット歌手」の称号を得ていた。この時期以降タレントとしての活動が活発化し、1980年代には「ライオンのいただきます」(フジテレビ)、「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ)のバラエティー/情報番組のコメンテーターとして大活躍し、人気を博していた。また女優としても「池中玄太80キロ」(日本テレビ)などに出演した。

1991年には長男・政和が覚醒剤取締法違反で逮捕され、懲役2年の実刑判決を受ける。このことから松尾はマスメディアから厳しく批判され、芸能活動の大幅自粛を余儀なくされた。おりからブティック経営にも失敗し、負債は8億円ともいわれた。このことに思い悩み、松尾は睡眠薬を多量服用し自殺未遂を起こすまでに追い込まれていた。

政和がまだ服役中だった1992年9月25日、自宅の階段から転落して頭部を強打してしまう。それでも、転落直後に松尾は家族に「何でもない、大丈夫です」と無事であることを主張していたが、数時間後に容態が急変しまもなくして死去した。57歳没。

松尾の死因は脳圧迫死であった。あまりにも突然の事故であり、前述の自殺未遂騒動などから松尾のその急死は大きな波紋を呼んだ。松尾はこのとき、階段に滑り止めが付いておらず滑り止めがあれば転落事故は防げたとも話されていた。

なお松尾の没後、「(松尾に)歌って欲しい曲がいっぱいあったし、書けと言われれば今も書ける。でも肝心の歌う人がいない。せめてフランク(永井)が健在なら…」というのが晩年の吉田の口癖だった。

没後20年以上経った現在でも過去の作品が多数CD化されている。

出所した政和も2011年に48歳で病死している。

「夜がわるい」は1994年、“ポスト松尾和子”と目された真奈尚子がカバーし、翌年ビクターのヒット賞を受賞した[2]。真奈の「夜がわるい」は約7万枚を売り上げた[2]
ディスコグラフィー
主な作品

グッド・ナイト(1959年)

東京ナイト・クラブ(1959年)

誰よりも君を愛す(1960年)

再会(1960年)作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正

お座敷小唄(1964年)

再会の朝(1971年)

春来川慕情/船が港をはなれるように(1990年)- ラストシングル

シングル
グッド・ナイト(1959年7月)※共演:和田弘とマヒナスターズ

作詞:
佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:佐野雅美
(c/w 東京ナイト・クラブ)※共演:フランク永井

口笛のブルース(1959年10月、VS-251)※歌唱:フランク永井(c/w 情熱)

誰よりも君を愛す(1959年12月)※共演:和田弘とマヒナスターズ

作詞:川内康範 / 作曲:吉田正 / 編曲:和田弘
(c/w そんな女になりました)

夜がわるい(1960年2月、VS-289)

作詞:川内康範 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三
(c/w 街の噂も65日)※歌唱:和田弘とマヒナスターズ

別離(1960年2月、VS-307)

作詞:川内康範 / 作曲:吉田正 / 編曲:佐野雅美
(c/w 夜はあなたのもの)

嫌い 嫌い 嫌い(1960年2月、VS-321)

作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三
(c/w 待たせないで)※歌唱:ブラック・キャッツ

ピンクの灯りを消さないで(1960年4月、VS-319)

作詞:宮川哲夫 / 作曲:吉田正
(c/w 霧に濡れた恋)※歌唱:フランク永井

夜の招待(1960年5月、VS-332)※共演:フランク永井、和田弘とマヒナスターズ

作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正
(c/w 霧の夜空に消えた恋)※歌唱:藤田功、多摩幸子

小さな酒場(1960年7月、VS-357)

作詞:宮川哲夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:寺岡真三
(c/w どうして流れ星を拾うの)※歌唱:朝倉ユリ

再会(1960年8月、VS-373)

作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:小沢直与志
(c/w 恋)

恋の旅路の果てなのか(1960年10月、VS-379)

作詞:宮川哲夫 / 作曲:渡久地政信 / 編曲:渡久地政信
(c/w 情愛)※歌唱:朝倉ユリ

炎(1960年9月、VS-393)(c/w ごめんなさいネ)

ドンドン節(1960年10月、VS-406)(c/w 五ツ木の子守唄)

とってもたのしくしてあげましょう(1960年11月、VS-427)※共演:和田弘とマヒナスターズ

作詞:佐伯孝夫 / 作曲:吉田正 / 編曲:佐野雅美
(c/w 花の大理石通り)※歌唱:藤本二三代

女ひとり(1960年11月、VS-436)(c/w 泣きぬれて)

あの星だけは知っている(1961年1月、VS-460)

作詞:水嶋哲 / 作曲:渡久地政信


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