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松尾伴内
本名松尾憲造
生年月日 (1963-05-03) 1963年5月3日(61歳)
出身地 日本 長崎県大村市
血液型A
身長162cm
言語日本語
方言共通語
最終学歴東京都立桜町高等学校卒業
師匠ビートたけし
グループ名たけし軍団
事務所株式会社TAP
活動時期1982年 -
同期そのまんま東
笑福亭笑瓶
ダウンタウン
トミーズ
ハイヒール
前田政二
内場勝則
現在の代表番組開運!なんでも鑑定団
痛快!明石家電視台
まるどりっ!
過去の代表番組オレたちひょうきん族
スーパージョッキー
明石家さんちゃんねる
他の活動レポーター
配偶者栗林知美
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松尾 伴内(まつお ばんない、1963年5月3日 - )は、日本のお笑いタレント、レポーター。本名、松尾 憲造(まつお けんぞう)。
長崎県大村市生まれ、東京都目黒区育ち。新潟県新潟市在住。血液型A型。株式会社TAP所属。東京都立桜町高等学校卒業。
妻は女優の栗林知美。2005年に双子の男児が誕生。MBS毎日放送の「ダウトをさがせii」の(ゲスト回答者(2人1組)出演(95(7)年1月放送)・VTR映像間違い探し(かくれんぼ)出演(95(7)年2月放送)) にも出演していた時期がある。 漫才ブームで人気芸人となったビートたけしに着目し、弟子入りするためにニッポン放送の通用口付近で出待ちをした。しかし、人見知りである松尾は声を掛けるきっかけが掴めず、『ビートたけしのオールナイトニッポン』収録後のたけしをただ見送ることが続いた。松尾の存在に気付いた高田文夫は、たけしに「タケちゃん、あいつ(松尾の事)ヤバイよ」と警告していたという[1]。1982年1月28日深夜、松尾が切迫した表情でたけしに近づき(たけし曰く「刺されると思った[1]」)、その後たけしに弟子入りを志願し3番弟子となる。なお、出待ち時に土下座をしたのは当時唯一の弟子だったそのまんま東にであり、顔を上げて人違いに気付き、その後改めてたけしに弟子入り志願した(本人を前にすると緊張で土下座できず、頭を下げたままだった[2])。東は「あいつが駆けて来たら盾になれ、あいつは刺すぞ」と聞かされていたという[2]。たけしはこの勘違いの面白さもあり、東とともに松尾を飲み屋に引き連れ、結果的にこれが、弟子を増やしていく「たけし軍団」結成へのきっかけとなった。なお、たけしはこの時高校3年生だった松尾に最初に語り掛けた言葉は「お前、女房、子供には言ってきたのか」だった[2]。 入門当時の芸名は本名の『松尾憲造』だったが、1984年の一斉改名の際に現在の芸名に改名した。1982年、たけしの内弟子時代に「刑事ヨロシク」で出前持ち役としてデビュー。 近年は、師匠のたけしよりも明石家さんまや小堺一機との仕事が多い。
来歴・人物