この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。ラジオ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、CDなどでの販売や公式なアーカイブなど常に参照可能な状態のネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。
まつみや かずひこ松宮 一彦
プロフィール
出身地 日本 東京都豊島区
生年月日1953年12月11日
没年月日 (1999-09-27) 1999年9月27日(45歳没)
血液型A型
最終学歴日本大学芸術学部放送学科
職歴元TBSアナウンサー
フリーアナウンサー
活動期間1976年 - 1999年
ジャンル情報、音楽番組、スポーツ
配偶者なし(離婚歴有)
出演番組・活動
出演経歴『ザ・ベストテン』追っかけマン
『SURF&SNOW』
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
松宮 一彦(まつみや かずひこ、1953年〈昭和28年〉12月11日 - 1999年〈平成11年〉9月27日)は、日本のアナウンサー。
東京都豊島区出身[1]。血液型A型[2]。1976年4月にTBS(東京放送)に入社[注釈 1]。テレビ『ザ・ベストテン』追っかけマンとして活躍し、「ポスト久米宏」といわれた。ラジオでは『SURF&SNOW』、『胸キュン通信―今週のアイドル』、『三菱RVクルージング どこかへいこうよ』等のパーソナリティーを担当。他にテレビ『JNNニュース22プライムタイム』『おはようクジラ』のスポーツキャスターも務めた。1998年6月にTBSを退社しフリーに転向。1999年9月に自宅マンションで首吊り自殺[1]。 東京都豊島区目白生まれ[1]。弟がいる[3]。祖父は旧財閥系の会長[4]。父親は資産家の[5]日本大学生産工学部名誉教授[4]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}身内には日本大学スキー部の功労者がいる。[要出典]生後すぐに北海道へ移住、小学校1年生の時に東京都に戻る[6]。性格は陽性だが、その一方で他人に弱みを見せることを極度に嫌っていたという[5]。中学生の時からアナウンサーになると決め[7]、子供の頃にディスクジョッキーコンテストで4位に入る。亀渕昭信、斉藤安弘、今仁哲夫らが活躍した『オールナイトニッポン』など深夜放送ブームの頃に少年時代を過ごす。1967年10月2日深夜放送のオールナイトニッポンの第1回放送(この日、月曜日担当は糸居五郎)を聴いていたことがあり[8][9]。「ラジオのとりこになったのはこの時から」と話している[8]。高校生の頃にはリクエストやお便りのはがきを週に20通というペースでにたくさん書いたほどで[7][8]、当時発行されていたオールナイトニッポンの会報『ビバヤング』には松宮のはがきも載っているとのこと[9]。そして後日ニッポン放送のアナウンサー試験の時に局の上の人に「あの松宮君」と覚えられていたほどで[7]、また後日糸居五郎、今仁哲夫、高崎一郎の三人に会った事があるが、三人とも松宮のことを覚えていたという(本人談)[8]。 音楽も自ら「完璧な洋楽ファン」と言うほど、少年時代から洋楽ファンで、当時流行していた日本のフォークソングやロックには「生理的な拒否反応」をしていたと言う[9]。出掛けた先のスキー場のロッジにいつもあったジュークボックスから流れていたポップスが音楽好きになったきっかけでもあり「スキーをやっていなければ音楽に出会えなかった」と話している[8]。 また自ら「明るい鉄道少年」[2]と公言する鉄道ファンでもあった。中学の卒業文集に「将来は鉄道公安官になりたい」と書いたほどだった[7]。
来歴・人物
大学まで