この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "松坂慶子"
まつざか けいこ
松坂 慶子
本名高内 慶子(たかうち けいこ)
生年月日 (1952-07-20) 1952年7月20日(71歳)
出生地 日本・東京都大田区[1]
国籍 日本
身長162cm[2]
血液型A型[2]
職業女優・歌手・司会者・タレント
ジャンル映画・テレビドラマ・演劇
活動期間1967年 -
活動内容1967年:デビュー
1979年:『水中花』
1982年:『蒲田行進曲』
1985年:『春の波涛』
1990年:『死の棘』
2008年:『篤姫』
2009年:紫綬褒章
2018年:『まんぷく』
2023年:『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
配偶者高内 春彦[1]
主な作品
映画
『夜の診察室』/『藍より青く』
『事件』/『青春の門』
『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』
『道頓堀川』/『蒲田行進曲』
『火宅の人』/『死の棘』
『グッバイ・ママ』
『男はつらいよ 寅次郎の縁談』
『ベトナムの風に吹かれて』テレビドラマ
『おくさまは18歳』/『国盗り物語』
『元禄太平記』/『草燃える』
『関ヶ原』
『春の波涛』/『水中花』
『江戸を斬る(第1部 - 第6部)』
『毛利元就』/『太陽の季節』
『人間の証明』/『弟』
『熟年離婚』/『マグロ』
『篤姫』/『ゲゲゲの女房』
『夏の恋は虹色に輝く』
『花燃ゆ』/『あさが来た』
『スミカスミレ 45歳若返った女』
『西郷どん』/『まんぷく』楽曲
『愛の水中花』/『蒲田行進曲』
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
『青春の門』(1981年)
『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(1981年)
『蒲田行進曲』(1982年)
『死の棘』(1990年)優秀主演女優賞
『火宅の人』(1986年)
『波光きらめく果て』(1986年)
優秀助演女優賞
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(2023年)
ブルーリボン賞
主演女優賞
『青春の門』(1981年)
『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(1981年)
『死の棘』(1990年)
その他の賞
キネマ旬報
主演女優賞
『蒲田行進曲』(1982年)
『道頓堀川』(1982年)
『死の棘』(1990年)毎日映画コンクール
主演女優賞
『蒲田行進曲』(1982年)
『道頓堀川』(1982年)
『死の棘』(1990年)報知映画賞
主演女優賞
『青春の門』(1981年)
『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(1981年)
『死の棘』(1990年)
助演女優賞
『火垂るの墓』(2008年)高崎映画祭
主演女優賞
『死の棘』(1990年)日刊スポーツ映画大賞
主演女優賞
『死の棘』(1990年)紫綬褒章(2009年)
テンプレートを表示
松坂 慶子(まつざか けいこ、1952年〈昭和27年〉7月20日[1] - )は、日本の女優・歌手・司会者・タレント。本名:高内慶子(たかうち けいこ)。身長162cm、血液型A型[2]。モマオフィス所属。東京都大田区出身。 韓国人の父と日本人の母との間に誕生。早産で未熟児だったという[1]。7歳下の弟がおり4人家族。「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」との両親の思いから、いくつもの習い事をかけもちしていた[3]。 1959年(昭和34年)、渋谷区立鳩森小学校入学。小学2年の1960年(昭和35年)、「くるみ芸術学園」に入り、歌唱科、ピアノ科、児童舞踊科を受講。1961年(昭和36年)、転居のため中野区立向台小学校に転校。NHK「声くらべ腕くらべ子供音楽会」で「からすの赤ちゃん」を歌い合格。中野区立第三中学では演劇部に所属。落語家の二代目快楽亭ブラックは中学時代の同級生であり、ともに演劇部に所属していた。 1966年(昭和41年)、中学2年の時に「劇団ひまわり」入団。1967年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)でテレビ初出演。1968年、15歳の時に『ウルトラセブン』第31話「悪魔の住む花」(1968年5月5日放送)に、ミクロ怪獣ダリーに寄生された少女・カオリ(香織)役で出演。 1968年(昭和43年)、日本大学第二高校に進み、同校を卒業[1]。高校2年の1969年(昭和44年)、古賀政男ギター歌謡学院で週2回の歌のレッスンを受ける。同年、大映からスカウトされる[1]。『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女子高生の一人としてスクリーンデビュー(ただし、クレジットなし)。 1970年(昭和45年)、大映東京撮影所入社。TBSテレビ『おくさまは18歳』、『なんたって18歳!』レギュラー出演。 1971年(昭和46年)、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。12月に大映が倒産。 1972年(昭和47年)1月1日、松竹へ移籍[1]。1973年(昭和48年)、日大文理学部聴講生となる。NHK大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じて広く知られた[1]。1975年(昭和50年)、時代劇『江戸を斬る』に出演。1978年(昭和53年)の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の映画『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放送のTBS系テレビドラマ『水中花』に主演。また、同ドラマの主題歌「愛の水中花」をリリースし、大ヒット。ドラマ劇中で披露した妖艶なバニーガール姿も話題となり、「愛の水中花」のレコードジャケットはその衣装を着用した写真であった。その衣装でTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも出演した。
来歴・人物
1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』などの映画や、テレビドラマではNHK大河ドラマ『春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。
1990年(平成2年)、松竹から島田事務所へ移籍。
1991年(平成3年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚。1月2日、ニューヨークで挙式。当時、人気女優と無名に近く収入の少ない高内との結婚は「格差婚」と取り沙汰された。また、松坂の両親は結婚に大反対していることを隠さず、マスコミの取材を受け、松坂が公にしていなかった事実や様々な思いを吐露した。松坂名義の「実印」への執着が凄まじく、松坂が実印を持ち出したことをしきりに追及していた(のちに『娘・松坂慶子への「遺言」』を上梓するきっかけとなった)。夫の高内を庇っていた松坂であったが、ついには親子絶縁も宣言。結婚後、夫の活動拠点である米国ニューヨークに移住して7年ほど過ごした[1]。