松坂 大輔ニューヨーク・メッツ時代
(2014年3月7日)
基本情報
国籍 日本
出身地 東京江東区
生年月日 (1980-09-13) 1980年9月13日(43歳)
身長
体重182 cm
92 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1998年 ドラフト1位
初出場NPB / 1999年4月7日
MLB / 2007年4月5日
最終出場MLB / 2014年9月25日
NPB / 2021年10月19日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
横浜高等学校
西武ライオンズ (1999 - 2006)
ボストン・レッドソックス (2007 - 2012)
ニューヨーク・メッツ (2013 - 2014)
福岡ソフトバンクホークス (2015 - 2017)
中日ドラゴンズ (2018 - 2019)
埼玉西武ライオンズ (2020 - 2021)
派遣歴
ヒガンテス・デ・カロリーナ (2016)
国際大会
代表チーム 日本
五輪2000年、2004年
WBC2006年、2009年
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オリンピック
男子 野球
オリンピック
銅2004野球
ワールド・ベースボール・クラシック
金2006野球
金2009野球
松坂 大輔
人物
国籍 日本
職業野球評論家
YouTube
チャンネル
松坂大輔 official YouTube
登録者100,000人
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-04-16-00002023年4月16日時点。
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松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年9月13日 - )は、東京都江東区出身(出生地は青森県青森市)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者・野球評論家[1]・YouTuber。愛称は「平成の怪物」。 横浜高校時代はエースとして1998年春・夏の甲子園連覇を達成し、同年のドラフト会議で西武ライオンズ(パ・リーグ)から1位指名を受けて入団。プロ入り後は西武やMLBのボストン・レッドソックスなどで活躍した。NPBで2度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝、MLBで1度の地区優勝、1度のリーグ優勝、1度のワールドシリーズ優勝、日本代表で2度のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝に貢献している。アテネオリンピックの銅メダリスト。21世紀初の沢村栄治賞受賞者。ゴールデングラブ賞をパ・リーグ投手最多記録となる7回受賞。 青森県青森市生まれ[2]、東京都江東区育ち。弟・松坂恭平は愛媛マンダリンパイレーツに所属していた元プロ野球選手。妻は元日本テレビアナウンサーの柴田倫世。夫婦の間には2005年12月に誕生した長女と、2008年3月に誕生した長男、2010年3月に誕生した次女がいる。 「大輔」という名前は、1980年代前半の早稲田実業野球部のエースだった荒木大輔の名前からとられている[3]。 愛称は「マツポン」「マツ」「ダイスケ」、メディアでは「平成の怪物」「怪物」、MLBメディアでは「Dice-K」[4]「D-Mat」という愛称が使われている。ボストンでは「Dice-K」が好まれる。本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。渡米後の代理人はスコット・ボラス。 江東区立南陽小学校・区立東陽中学校を卒業した[5]。5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込み、当時は指導部長を務め、後に理事長に就任した川島義和に鍛えられた。生花の商売修業をしていた川島を受け入れていた近所の花屋が松坂家と家族付き合いをしており、花屋の勧めによって当時暴れん坊だった松坂を家族は強制的に入会させた。川島の指導は大変厳しく、未就学児をひっくり返して蹴飛ばし、気合が入っていないと見るや否や羽目板にぶつけ、泣けば泣き止むまで追いかけ回してシゴキを加えた。2006年に行われた少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問には「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良いよ」と答えている[要出典]。小学3年生で江東区の東陽フェニックスに入部し野球を始める。中学時代は江戸川区の江戸川南リトルシニアに所属する[6]。この時のチームメイトには小谷野栄一がいた[7]。リトルリーグ時代にNHK教育テレビジョンの『天才てれびくん』に出演したことがある[8]。高校は帝京高校に進学するつもりでいたが、中学3年の時に全日本代表に選ばれた際のメンバーに小池正晃、小山良男、常盤良太がおり、横浜高校への進学が決まっていた3人から一緒に横浜高校に行こうと誘いを受け、悩んだ末に横浜高校への進学を決める[9][10]。
概要
経歴
プロ入り前