松原_(佐賀市)
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松原
町丁
松原神社参道(新馬場通り)
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日本
都道府県 佐賀県
市町村 佐賀市
面積
 ? 合計0.244 km2
人口(2022年令和4年)1月31日現在)[1]
 ? 合計1,235人
 ? 密度5,100人/km2
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号840-0831[2]
市外局番0952[3]
ナンバープレート佐賀

松原(まつばら)は、佐賀県佐賀市の地名。郵便番号は840-0831[2]
地理ARKS くすかぜ広場佐賀中央郵便局、徴古館周辺。奥に松原川通りのマンション、手前に城濠を跨ぐくすの栄橋。「シアター・シエマ」があるセントラルプラザ1985年から2006年まで複数の映画館が入居していた佐賀セントラル会館映画館「松竹世界館」(1955年)

松原は佐賀市中心部の地名で、江戸時代には松原小路の通称があった。佐賀城北堀の北側、国道264号線(貫通道路)に沿って東西に長く広がる町。西から一丁目・二丁目・三丁目・四丁目と並ぶ。町の北端から東端に沿うように裏十間川、西端に多布施川、中央を東西に松原川が流れる。何れも城下町に上水を供給することなどを目的として掘削された人工河川であり、松原川の川筋には佐賀城やその城堀の見通しを避ける為に細長く続く松並木が設けられた。これが地名の由来となっている。北西から時計回りに中の小路、中央本町、呉服元町柳町、材木、水ヶ江城内、堀川町に接する。

町の西部は佐賀県警察本部佐賀中央郵便局など公的機関が立地する。昭和年間には佐賀市役所や佐賀市消防本部も所在した。

中央部には佐嘉神社・松原神社が鎮座し、それ以外は飲食店が多く繁華街となっている。3丁目には、昭和天皇の佐賀行幸の際に宿泊地となり、ミシュランガイド福岡・佐賀版で佐賀市内唯一の二つ星を獲得した料亭「楊柳亭」がある。楊柳亭は1882年(明治15年)創業で、当初の屋号は『新川崎屋』であったが、初代佐賀県知事鎌田景弼がしだれ柳の多かった場所にちなんで『楊柳亭』と命名したものである。2丁目にはかつて映画館が集中し、東映・日活・東宝・松竹・洋画の有楽会館などが立ち並んでいた(日活のみ住所は中央本町)。現在は佐賀東宝があったセントラルプラザで単館系の作品を上映するミニシアターのシアター・シエマが営業するのみとなっている。

東部は住宅や商店も多いが歴史的な建物も多く残る。4丁目の旧福田家もその1つで、佐賀市歴史民俗館全7館の1つとして保存活用されている。

佐嘉・松原神社を含む2丁目一帯は風致地区に指定されている[4]
歴史

松原小路(まつばらこうじ)は佐賀城下の武家屋敷地。『弘化二巳総着到』(鍋島報效会所蔵の佐賀藩士名簿)によると居住する武士は16人。総石高は2700石(平均169石)で諸小路の中でも高い部類に属する。人材育成を目的に設置された藩校弘道館や、藩祖鍋島直茂を祭神とする松原神社は8代藩主鍋島治茂によって建てられた。鍋島家は私立佐賀図書館(大正2年)、博物館である徴古館(昭和2年)も建設した。さらに昭和8年鍋島直正を祭神とする佐嘉神社が建立されている。

武家地の面影を残すものとして、バルーンミュージアム駐車場の一角に嬉野家の屋敷門が保存されており、佐賀市の重要文化財に指定されている[5]

松原小路の南は北御堀端小路(きたおほりばたこうじ、北堀端)。松原小路の東は裏十軒川が南に折れるところまで馬責馬場(うませんばば)または土手際小路(どてぎわこうじ)で、裏十軒堀に沿う町の北側が土手だった。馬責馬場は短冊状の町が南北に並んでいる片田江七小路のひとつ。同じく片田江七小路であるひとつ南の通小路(とおりこうじ)、もうひとつ南の椎小路(しいこうじ)の北半分までが現在の松原の町域。いずれも武家屋敷地である。

松原神社は1772年(安永元年)の創建。幕府の御法度は新規の社寺建立を禁じていたため、楠の根元に石祠のあった松原小路の土手近くに造営されることになったという[6]1817年(文化14年)には参道である新馬場の通りが開かれ、沿道に鳥居と下宮も建立された[7]1877年(明治10年)には神社南西部に神苑が設けられたが、後の佐嘉神社の建立にあたっては、広い神苑がその敷地に充てられた[7]

弘道館は1781年(天明元年)松原小路(現在のバルーンミュージアム付近)に開設され、1840年(天保10年)北堀端に移転し敷地を拡張した。北堀端の校地は5,400坪余りの広大な敷地で[8]、現在のくすかぜ広場から徴古館付近に及ぶ。

1881年(明治14年)に松原町となり、1889年(明治22年)に近代市町村制の施行により佐賀市が発足するとその一部となる。1968年住居表示により松原町の一部と水ケ江町・東魚町・白山町の一部が合わさり松原1 - 4丁目、中の小路、中央本町となり、翌1969年に残余が白山1 - 2丁目、八幡小路となった。

松原小路の北堀端、現在の松原1丁目・2丁目には、かつて以下の行政機関・学校等が所在した。

佐賀県庁舎 1883年(明治16年) - 1887年(明治20年) 仮庁舎として佐賀変則中学校の旧校舎を使用した。

佐賀県議会議事堂 1886年(明治19年)新築 - 1896年(明治29年)

佐賀市役所 1889年7月1日の開庁から1921年(大正10年)までの間に旧県庁舎、協和館など松原町内で数度の移転を経る。市役所として設計された初の庁舎は1929年(昭和4年)に完成したが、2年後の1931年(昭和6年)6月に火災で全焼したため再び市公会堂や協和館を仮庁舎とした。1934年(昭和9年)2月に新庁舎が完成、1975年栄町に移転するまで使用された[9]。現・くすかぜ広場。

協和館 1886年(明治19年)新築 - 1913年(大正2年)銅像園に用地提供のため曳家移転 - 1957年(昭和32年)佐賀城天守台に移築 佐賀県有、後に市有となった公会堂[10][11]。現・佐賀中央郵便局付近。

佐賀警察署 1888年(明治21年)松原神社北側に新築 - 1936年(昭和11年)現・県警察本部に移転 - 1975年高木瀬町に移転

勧興小学校 1874年(明治7年) - 1914年(大正3年)

佐賀変則中学校(後に佐賀中学校、佐賀高等学校の前身) 1876年(明治9年) - 1883年(明治16年)

佐賀高等小学校 1899年(明治32年) - 1934年(昭和9年)

佐賀県物産陳列館(→佐賀県商工奨励館→佐賀県産業奨励館) 明治後期から協和館が物産陳列館として利用されていたが手狭になったため、1913年(大正2年)建物を新築した[10]


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