松原神社_(小田原市)
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松原神社


拝殿正面より
所在地神奈川県小田原市本町2丁目10-16
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度14分58秒 東経139度9分35.5秒 / 北緯35.24944度 東経139.159861度 / 35.24944; 139.159861座標: 北緯35度14分58秒 東経139度9分35.5秒 / 北緯35.24944度 東経139.159861度 / 35.24944; 139.159861
主祭神日本武命素戔嗚命宇迦之魂命
社格等県社
創建伝近衛天皇久安年間
例祭5月3日?5日
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松原神社(まつばらじんじゃ)は神奈川県小田原市にある神社である。小田原宿総鎮守。
歴史

創建の時期は不明。かつては鶴の森明神、松原大明神等と呼ばれていた。後北条氏が社領を寄進するなどして崇敬した[1]稲葉氏大久保氏からも崇敬され、小田原宿の総鎮守とされた[1]1869年明治2年)に松原神社と改称し、1873年(明治6年)1月に県社に列せられた[1][2]
祭神

日本武命

素戔嗚命

宇迦之魂命稲荷神

境内

本殿

狛犬

社務所

神庫(神輿倉庫)

手水舎

石灯籠

鳥居

境内社

住吉神社

鹿島神社

手置神社

稲荷神社

八幡神社

文化財

多古保存会の小田原囃子(神奈川県指定
無形民俗文化財

祭事

例大祭は古くは1月中旬に本祭、9月中旬に小祭が行われていたが、幾多の変遷を経て、現在は小田原北條五代祭りに合わせて5月初頭に例大祭を行い、1月と9月に小祭を行う形になっている[1][2][3][4][5]

1月1日 - 元旦祭

1月14日 - 小祭

2月3日 - 節分祭

2月不定期 - 祈年祭

5月3日?5月5日 - 例大祭

9月14日 - 小祭

11月不定期 - 新嘗祭

例祭筋違橋・欄干橋による町内渡し渡御、藤棚にて。3基合体した町会神輿、宮入り前の青物町小田原駅周辺に集まり始めた神輿と山車。
歴史・由来

記録として残るのは新編相模風土記にある天保年間の記述が最も古いと思われ、主に漁師の祭りとして千度小路、古新宿(こしんしゅく)の漁師を中心に行われてきた歴史を持つ。今では漁業関係者は激減したが、神輿小田原担ぎ(小田原流)と呼ばれる漁船に見立てた独特な担ぎ方で渡御されるなど、現在でも漁師の祭りとしての名残を見ることができる。
開催日時と変遷

開催日時は毎年5月3日から5日に行われている。松原神社では江戸時代から昭和54年まで開催月が1月と4月が交互に入れ替わる様な変遷を経ており、1979年(昭和54年)以前は小田原駅周辺の4神社、(同社の他、大稲荷神社、山王神社、居神神社)の神社毎に別々に行われていたが、小田原北條五代祭り(神事ではなく市の観光行事)の開始に合わせて統合開催されるようになった。
このため、各神社の例祭と北條五代祭りを同一視している観光客、または市民も多く、さらには例祭の参加者ですら同じ祭りと思っている者や、居神・大稲荷・山王神社を知らず、単に「松原の祭り」と捉えている者も少なくない。実際に小田原駅には「祝:松原神社例大祭」という横断幕が例年掲げられており、敷地が氏子地区と重複する大稲荷神社のそれは見られない。
この期間に行われる神事の方の祭りを「“四社”例祭」、「5月の祭り」と呼ぶ人もいる。
 3日のパレード(武者行列)では最後尾に、上記4神社に下府中・富士見神輿連合会を加えた5神社(通称:五社連)が小田原神輿連絡協議会として連合渡御している。他所では見られない神社神輿同士による合体と突っ駆けを見る事ができる。

日程概要

5月3日16時から町会神輿の御霊入れが行われ、一部の地区では宵宮を行う所もある。ほとんどの町会は4日から町会神輿(大人・子供または女神輿)、山車(または花車・曳太鼓)を運行している。5日の夕方に宮入りであるが、現在のカタチとなった平成3年(1991年)以降、本社神輿が町会神輿に先駆けて宮入りをする「先入方式」であったが、平成29年(2017年)から全町会神輿、両龍宮神社の後に宮入りを行う「後入方式」に変更された。
本社神輿

大正6年に造られた本社神輿は昭和54年 - 平成2年までは牛車に曳かれて渡御されることがあったが、牛がすぐに死んでしまう等の理由により、翌平成3年 - 平成6年は「核要員」と呼ばれた(後の神社神輿会会員)有志による渡御に変更された。この時期は核要員でなければ担ぐことができなかった名誉ある役職であったが、逆に核要員の体力的負担や人員不足により、平成7年からは氏子各町会がその地区を担ぐ持ち回りで担ぐ「渡し方式」で渡御され、「町内渡し」と呼ばれている。なお、本社神輿の御霊入れは4日の朝8時30分前後の宮出し前に行われている。
経路

平成3年以降は、御旅所が2ヶ所=東(古新宿)の年と、西(千度小路)の年があり、宮入りに向けた還幸コースでは御旅所→国際通り→青物町→神社のコースであったが、平成27年は萬町公民館と高梨町公民館を結ぶ道(通称:かまぼこ通り)を6点棒で巡行した。  ⇒平成27年(西暦2015年)の経路図 本社神輿後入れ開始年の平成29年には、西御旅所からのスタートではあったが、大手前の神酒所を経由し国道1号線を進み、青物町に入るコースを取った。このような流れと、運行上の効率化などの理由から、昭和時代に長らく4つの御旅所があった事を踏まえて、御旅所を各ブロック毎に4つ創る案が浮上している。
周辺の様子

5月5日に小田原駅周辺に出ている神輿・山車の数は50以上と言われる事があるが、松原神社だけでも氏子町会は後述の通り28町あり、それぞれが大人神輿の他、子供神輿または花車や山車を出しているので、50に近い数字にはなると推測される。最も見応えがあるのは、5日夜の各神社の宮入を除いては、5日昼頃の小田原駅前と思われる。松原神社と大稲荷神社の氏子区域が複雑に入り組み重なる部分でもあるため、見渡す限り両神社の神輿と山車だらけになる。
例祭の服装(衣装)
町会の衣装

神輿を基準にして見た場合、浴衣半纏(袢纏|袢天)が半分ずつほどである。一方のみ採用の地区もあれば、「大人と子供」または「神輿と山車」などで使い分けたり、日や用途で替える地区もある。
半纏については各町会で色が異なり個性的であるが、浴衣は白が基調であるため、一見ではどこの所属か分からない事がある。このためか、浴衣の場合は極彩色のケンカ(台宿はタスキ無し、上若、御幸町は片掛けの駅伝ダスキ)をハチマキと合わせて採用している地区が多い。この場合、手には黒地に刺繍入りの腕貫型長手甲を装着している者や地区があるが、このタイプの手甲は紐が付いており、首の後ろで結ぶため、激しい動きにも耐えられる仕様となっている。小田原以外ではほぼ売られていないようで特産品とも言える。既存品で2万円前後、注文品で5万円ほど、特注で足柄刺繍を施された物では推定30万円の物も存在する。
足袋は白または黒(一部地区では紺を採用)であるが、小田原市内他社、足柄・西湘エリアでは白足袋が圧倒的に多いようである。白衣装で黒を採用している所も多い。長短は個人それぞれの好みで、指定されている町会はないと思われる。なお、他の祭礼と違い、小田原流の神輿は走るため、担ぎ手の中に雪駄草履の者はいない。

中着は白ダボ・白股引きを採用している会がほとんどである。青物町、一丁田、七枚橋、唐人町は黒・紺を採用している。これについても、上下共に長短は個人それぞれで異なる。

本社神輿(明神會)の衣装

中着は上下白で、明神會の浴衣がある。
3日
北條五代祭りのパレードは、町会などからの有志が担ぐが、役員も含めて全員が明神會の浴衣を着用し、紅白のネジリ鉢巻、赤のケンカ襷、白足袋を着装する。


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