松原桃太郎
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CHA-CHA
出身地
日本
ジャンルJ-POP
活動期間1988年 - 1992年
レーベルバップ

メンバー勝俣州和
中村亘利
松原桃太郎
西尾拓美

旧メンバー木野正人他。

CHA-CHA(チャチャ)は、日本男性アイドルグループ1988年デビュー。各メンバー個々の所属事務所がそれぞれ異なっていたため、事実上、バップレコード、浅井企画預かりであった。1992年に解散。
略歴

テレビ番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)の放送開始に合わせ、前身グループである“茶々隊”が結成された(ハガキのネタに“茶々”を入れるという意味から萩本欽一が命名)。

茶々隊メンバーオーディションは、1987年10月に1回目が行われた。その時の合格者が松原桃太郎、火野玉男須間一也の3名。シミュレーションをするも、番組開始3ヶ月前に萩本から、「3人とも暗い」、「そういうのテレビで受けないから」の一言で、更に数度のオーディションが行われ、前述の3名に加え、勝俣州和、西尾拓美、木野正人、中村亘利、木村拓哉草g剛の6名が新たに加わった。

番組開始に向けてレッスンが行われた。萩本曰く「デビュー前は本当イジメに近いぐらいレッスンさせた。言った事が出来ないと3日でも一週間でも同じ事をやらせた。最後には泣き出すメンバーも居た」という程、厳しいレッスンが続けられた。そんな中、木村がレッスンに耐え切れずに自ら抜け、残りの8名で「茶々隊」として番組デビューした。その後、草gが茶々隊を脱退。その後、勝俣・西尾・松原・須間・火野で「CHA-CHA」を結成するが、すぐに須間が抜け中村が加入、続いて火野が抜け木野が加入。

メンバー構成が勝俣・西尾・松原・中村・木野の5名に落ち着き、1988年9月「CHA-CHA」としてレコード・デビュー。

1990年5月、木野が脱退。

浅井企画からデビューしたことから、欽ちゃんファミリーのグループとされる。萩本の番組をはじめ、初期は冠番組を持つなど「歌って踊れてお笑いも出来るアイドルグループ」として成立していた[1]。近年、勝俣が「アイドルグループにいた」、「SMAP並みに人気があったんだぞ」と言い、当時を知らない世代のタレントなどに驚かれることも多い。

1991年新春特番「花の芸能界全部のっとらせていただきます」のワンコーナー『ねるとんね紅鮭団』に出演、西尾は理想のタイプは『西村知美』と答え、「宇部の方言を大切にしているので大変いいなぁ」と西村の魅力を語っている。

1997年に西尾は西村と結婚。

1992年1月6日渋谷公会堂のコンサートにて解散。アンコールでは脱退した木野もゲスト出演。

ライバル・ユニットとして、東京キッドブラザース所属の2人によるJA-JA長戸勝彦水谷あつし)も結成された。

解散後の中村ソロライブに西尾、木野、松原が出演したことがある。勝俣はK2のライブがあったため不参加。

1997年9月17日ナムコ・ワンダーエッグでの西尾の結婚式の際、他の4人が式に出席、「いわゆるひとつの誤解デス」を歌った。

2004年6月放送「速報!歌の大辞テン」では勝俣以外の4人が集まりVTRでコメントを寄せた。
メンバー
活動停止直前までのメンバー

勝俣 州和(かつまた くにかず、 (1965-03-12) 1965年3月12日(59歳) - )愛称:カッちゃん。静岡県御殿場市出身(生まれは宮城県仙台市[2])。「劇男一世風靡」出身。リーダー融合事務所所属。血液型O型。身長171cm、体重55kg。7人兄弟長男(全員年子である)。日本大学三島高等学校日本大学文理学部国文学科中退。元メンバーの堀部圭亮(火野玉男)と、1992年に「K2」を結成し2001年まで活動、現在は様々なテレビ番組に出演し、タレントとして活動中。


中村 亘利(なかむら のぶとし、 (1970-02-09) 1970年2月9日(54歳) - )愛称:ノブちゃん。東京都港区六本木出身。1983年マイケル・ジャクソンに影響をうけてジャニーズ事務所のオーディションに応募し合格。1984年より同社所属となる。1985年に「少年忍者」のメンバーとなる。1987年萩本欽一プロデュースの「おめで隊」でレコードデビュー。当時、少年忍者と並行して活動していたが、1988年にCHA-CHAとしてデビュー後、少年忍者を脱退(少年忍者は、中村の代替として古川栄司を新メンバーに迎え、忍者としてCDデビュー)。当時、バック転が出来た。身長172cm。TM NETWORK小室哲哉とはいとこ関係[3]。CHA-CHA解散後は、「NOBU」名義でソロCDデビュー。25歳時にオーストラリアに渡り、アボリジニの世界最古の楽器・ディジュリドゥに触れ感銘を受ける。現地で演奏法を学び、日本に帰国した後もトレーニングを積む。その後、芸名を「KNOB」と改める。ちなみにKNOBという名の由来は、「DoorをKnockする、自分自身の新たな扉を開ける」という意味から。龍村仁監督の2007年公開のドキュメンタリー映画『地球交響曲第六番』虚空の音の章に出演。現在は北鎌倉・雪堂美術館を拠点に全国各地で演奏活動を行う一方、神社・仏閣・教会などでの奉納演奏の活動も行っている。着物に袴姿でディジュリドゥで般若心経や祝詞を奏上し祈るという日本人としての独自の演奏スタイルを確立し、自ら茶の点前も行い 茶会と演奏という会も開いている。


松原 桃太郎(まつばら ももたろう、 (1965-09-02) 1965年9月2日(58歳) - )本名・松原 仁(まつはら ひとし)。愛称:マッちゃん、デブちゃん。新潟県新潟市出身。血液型O型。身長164cm、体重64kg。「欽ちゃん劇団」の前身である「欽塾」出身。同姓同名の政治家とは、漢字表記が同じであるだけで無関係。また、読みも同じで同姓同名の研究員とも無関係。芸名の由来は萩本が「本名で不祥事を起こすと実家の両親が泣くから芸名をつけよう」と言い出した際、偶然スタッフが桃太郎の衣装を持って横を通り過ぎていった事がきっかけである。CHA-CHA解散後は“松原ひとし”に改名し、元・「おめで隊」の奈津あつし(その後佐藤あつしに改名)と共に、コントコンビ「まんもす2」として活動していたが、こちらも間もなくして解散。芸能界の表舞台から去る。引退後は、東京や故郷の新潟で、演出家・イベントの司会業・芸能人養成学校のお笑い講師職などをしていた。アミューズメント施設で働いているところを『出没!アド街ック天国』等で取り上げられたこともある。講談師神田山陽と顔が酷似しており、山陽が全国牛乳普及協会のテレビCMに出演した際には松原が講談師に扮していると誤解されたこともある。2007年頃から札幌市厚別区の新札幌キッズリゾートの店長として勤務。2008年には当時札幌にあったコミュニティFM局のグリーンエフエムで「ファンタジーキッズタイム」(金曜19:00?20:00)にレギュラー出演(2?3月)。2010年頃から出身の新潟県新潟市にてカイロプラクターを務める傍らラーメン・チェーン店で「応援団長」と称するスタッフや各地のステージイベント等に出演。また、2011年4月から2012年3月までBSNラジオ「フラっとフライデー」にもパーソナリティとして出演した。2010年代後半以降はブログ等の表立った活動は確認されていない。


西尾 拓美(にしお たくみ、 (1967-06-17) 1967年6月17日(56歳) - )東京都足立区出身。血液型A型。身長168cm、体重54kg。兄と妹がいる。高校時代は体操部に所属し、あん馬が得意であった。左利きである。当時、バック転及びバク宙が出来た。CHA-CHA加入前は西尾巧の名前で声の仕事をしていた。解散後、1994年から芸映に所属、アルバム「いつかどこかで」リリース他、ドラマ「B級ホラー WARASHI!」に主演するなど芸能活動を継続していたが、1996年に芸能界引退。1990年から1996年まで、さだまさしの恒例野外コンサート『夏 長崎から さだまさし』に、西村知美や、元「ジャPAニーズ」・「B・D 104」の乃生佳之らと共に参加。


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