松任谷正隆
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松任谷 正隆
出生名松任谷 正隆
別名マンタ
遊眠亭主
ユーミンパパ
U.Kon(作曲時のペンネーム)
生誕 (1951-11-19)
1951年11月19日(72歳)
出身地 日本 東京
学歴慶應義塾大学文学部卒業
ジャンルJ-POP
職業キーボーディスト
作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
自動車評論家
担当楽器ピアノ
オルガン
ハモンドオルガン
キーボード
アコーディオン
ギター
ベース
バンジョー
マンドリン
ボーカル
活動期間1971年 - 現在
事務所雲母社
共同作業者ティン・パン・アレー
松任谷由実
SKYE

松任谷 正隆(まつとうや まさたか、1951年昭和26年〉11月19日[1] - )は、日本音楽プロデューサー編曲家キーボーディスト作曲家。またモータージャーナリストタレントとしても活動している。雲母社社長、雲母音楽出版社長、マイカ・ミュージック・ラボラトリー校長[2]、安達建設[3]最高顧問。および東京工科大学メディア学部客員教授も務める。
人物

東京都出身。杉並区にある東京衛生病院で出生。日の丸幼稚園、慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾高等学校慶應義塾大学文学部卒業(1974年[4]。ニックネームは「マンタ」、「遊眠亭主」[注釈 1]、「ユーミンパパ」。「U.Kon」名義での楽曲提供もある。血液型A型。

妻はシンガーソングライター作曲家作詞家松任谷由実(旧姓荒井由実)。父・功三郎は東京銀行(現三菱UFJ銀行)横浜支店長[5]。母・和子は正隆が荒井由実との結婚後に設立した事務所雲母社監査役

父の異母兄弟の健太郎(農林省審議官)の妻・尋子の祖父は国家主義者頭山満[6]
略歴

1971年(昭和46年)、
吉田拓郎アルバム人間なんて』にミュージシャンとして参加し、以降、アルバム制作やライブにおいてキーボードバンドマスターを担当する。

1972年(昭和47年)、小坂忠林立夫後藤次利駒沢裕城と「小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ」を結成。

1973年(昭和48年)、細野晴臣鈴木茂林立夫と「キャラメル・ママ」を結成。その後キャラメル・ママのメンバーを中心にティン・パン・アレイに移行。

1974年(昭和49年)谷山浩子の「お早ようございますの帽子屋さん」の編曲の仕事に関わったことから本格的にアレンジャーとしての活動を始める。ただし、この仕事は最終的に萩田光雄の手によるものとなっている。(シングルレコード)1975/2/10発売

1974/2/17 第7回ポプコン譜面応募の部大会 よみうりホール アレンジ松任谷正隆

1974/3/24 第7回ポプコン関東甲信越大会 中野サンプラザホール アレンジ松任谷正隆

1974/5/5 第7回ポプコンつま恋本選会 アレンジ高島明彦 3番追加


1976年(昭和51年)11月29日、横浜山手教会にて荒井由実と挙式。

1982年(昭和57年)、フジテレビ系「FNS歌謡祭」で最優秀編曲賞を受賞。

1986年(昭和61年)、音楽学校「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」を開校し、校長を務める。同校の講師に桐ヶ谷仁がいる。

1987年(昭和62年)、松任谷由実「DIAMOND DUST」コンサートツアーより演出を手がける。

2004年(平成16年)、NHK紅白歌合戦ではゆずのゲスト演奏者ピアノ)として出演。

2005年(平成17年)、第34回ベストドレッサー賞(学術・文化部門)受賞。

2007年(平成19年)、『YUMING SPECTACLE SHANGRILA III?A DREAM OF DOLPHINE?』の総合演出を担当し、ロシアの国立グレートモスクワサーカス団とコラボ。この功績で7月23日、ロシア安全保障アカデミーよりロモノーソフ勲章を受章。

2009年(平成21年)10月1日、東京工科大学メディア学部客員教授に就任。

2010年(平成22年)、「ザ・ガーデニアヒルズ・オキナワ」プロデュース

2010年(平成22年)10月、京都造形芸術大学芸術学部客員教授に就任。

2014年(平成26年)、第9回渡辺晋賞を受賞。

2014年(平成26年)、第65回NHK紅白歌合戦薬師丸ひろ子・「Woman "Wの悲劇"より」のゲスト演奏者(ピアノ)として出演。

2019年(令和元年)、俳優の佐野史郎のレコーディングを切っ掛けとして、再結成された「SKYE(スカイ)」に加入。

2021年(令和3年)「SKYE」でアルバム発表と同時にバンドのメジャーデビュー。

逸話

ピアノを4歳頃に習い始める。2006年に
スタインウェイピアノを購入した。このピアノについて「スタインウェイのピアノは高音がぴんと張って硬く、低音はぎーんと倍音がたくさん混じる。そのコンビネーションが世界の果てまで連れて行ってくれるような気がする」と綴っている[7]

「ザ・ビートルズ日本公演チケットを貰うが、ドラムが入っている音楽が好きでは無いので行かなかった」と述べている。

今まで参加したバンド(フォー・ジョー・ハーフ、キャラメル・ママ、SKYE)は全て林立夫の勧誘で加入している。林は松任谷の母から「林くん、正隆をヘンな世界に引き込まないで」と怒られた[8]

荒井由実とは彼女のファースト・アルバム「ひこうき雲」でのセッションで出会う。

結婚前のあいさつに、松任谷由実が彼の母と対面したとき「ウチの息子は楽隊屋なんですが、いいのでしょうか?」と言われた。

音楽・映像・イベントなど、総合プロデューサーとして活躍中の松任谷愛介は実弟、二科展絵画部会員・会友の松任谷國子、松任谷千鶴姉妹は従姉妹、著書で「電話帳で松任谷のページを開くといきなり親戚」と語っている。


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