松井稼頭央
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経営者の「松井一雄」あるいは「松井和夫」とは別人です。
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松井 稼頭央(松井 和夫)埼玉西武ライオンズ 監督 #77
2023年6月6日 埼玉県営大宮公園野球場
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府東大阪市
生年月日 (1975-10-23) 1975年10月23日(48歳)
身長
体重177 cm
85 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション遊撃手二塁手三塁手外野手[1]
プロ入り1993年 ドラフト3位
初出場NPB / 1995年4月5日
MLB / 2004年4月6日
最終出場NPB / 2018年10月6日
MLB / 2010年5月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


PL学園高等学校

西武ライオンズ (1994 - 2003)

ニューヨーク・メッツ (2004 - 2006)

コロラド・ロッキーズ (2006 - 2007)

ヒューストン・アストロズ (2008 - 2010)

東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 - 2017)

埼玉西武ライオンズ (2018)

監督・コーチ歴


埼玉西武ライオンズ (2018, 2019 - )

国際大会
代表チーム 日本
五輪2003年(アジア予選)
WBC2013年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

松井 稼頭央(まつい かずお、本名:松井 和夫〈読み同じ〉、1975年10月23日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手内野手外野手、右投両打)、プロ野球監督

現役引退後、2019年シーズンから埼玉西武ライオンズの二軍監督、一軍ヘッドコーチを歴任し、2023年シーズンからは一軍監督を務める。現役時代も同球団で活躍し「(二代目)ミスターレオ」と呼ばれた[2][3]。シーズン長打NPB記録保持者[4]。日本人初の内野手メジャーリーガー[5][6]

妻はタレント松井美緒[7]
経歴
プロ入り前

幼稚園時代から野球漬けの毎日を送っていたが、それまでは規定がありチームに入れなかったものの、小学校3年生時に近所の上級生に誘われて若江ジャイアンツに入団[8]。当時のエースに後に西武ライオンズでチームメイトとなる犬伏稔昌[9]、1学年下にはバッテリーも組んだ藤井彰人がいた[10]。犬伏が卒業すると投手として試合に出してもらえるようになったが[11]、チームが所属していた地区は強豪揃いであり[11]小学生時代は全国大会には出場できず[12]、若江中学時代も決勝戦で敗れ、全国大会には出られなかった[13]。小学生時代からずっと悔しい思いをしてきたため、高校に入ったら絶対に甲子園に行くと心に誓ったという[13]

PL学園時代は1年生の投手としては唯一春の大会でベンチ入り(背番号11)[14]。1年の秋季大会では肘を痛めていたため松井自身は投げることができなかったが、チームは勝利し、春のセンバツに出場(背番号1)。準々決勝で先発に指名された。医者からは30球から50球が限度と言われていたが、痛み止めの注射を打ってマウンドに上がった。試合が始まると球が走らず[15]、3回途中2失点でマウンドを降りた[16]。その後チームは2年生時の夏、3年生時の春ともに甲子園出場を逃す。自身も背番号10でベンチ入りはしていたものの怪我のためほとんど投げられなかった[17]。肩や肘がようやく治ったものの、3年生時の夏の大会直前の強化合宿でぎっくり腰になった。死ぬ思いで治療に専念し、大会に入っても腰に違和感はあったものの、試合当日何とか投げられる状態に回復した[18]。松井は大阪府大会1回戦、2回戦とも9回まで投げ抜き、16奪三振を記録した試合もあった。決勝戦では近大付高金城龍彦との投げ合いとなった。PLは3点を先取し、松井も4回まで1安打ピッチングだったが、5回に連打で2点を取られ、7回にも金城の二塁打がらみで逆転を許す(3-5)。8回にもスクイズで1点を追加され、3-6で敗れた[19]。試合後にはベンチ横で涙を流す一幕もあった[20]

ドラフト前に読売ジャイアンツ中日ドラゴンズ福岡ダイエーホークスから話があったが、巨人とダイエーからは投手ではなく野手として指名するという話だった[21]1993年のドラフト会議で西武ライオンズが3位指名で交渉権を獲得し、契約金5000万円、年俸450万円(金額は推定)で入団した[22]。西武からは野手として指名された[16]


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