松井秀喜
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松井 秀喜ニューヨーク・ヤンキース選手時代(2007年)
基本情報
国籍 日本
出身地石川県能美郡根上町
(現:能美市
生年月日 (1974-06-12) 1974年6月12日(49歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手指名打者
プロ入り1992年 ドラフト1位
初出場NPB / 1993年5月1日
MLB / 2003年3月31日
最終出場NPB / 2002年10月30日
MLB / 2012年7月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


星稜高等学校

読売ジャイアンツ (1993 - 2002)

ニューヨーク・ヤンキース (2003 - 2009)

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム (2010)

オークランド・アスレチックス (2011)

タンパベイ・レイズ (2012)

野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年2018年
得票率91.3%(368票中336票)
選出方法競技者表彰(プレーヤー部門)
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自筆サイン

松井 秀喜(まつい ひでき、1974年6月12日 - )は、石川県能美郡根上町(現:能美市)出身の元プロ野球選手外野手、右投左打)。

現役引退後はMLBニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを務める。愛称は「GODZILLA」または「ゴジラ松井」。

1990年代から2000年代の球界を代表する打者で、日本プロ野球(以下:NPB)では読売ジャイアンツメジャーリーグベースボール(以下:MLB)ではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2009年のニューヨーク・ヤンキース時代にワールドシリーズ優勝を経験している。同年、アジア人初のワールドシリーズMVPを受賞した。2013年には国民栄誉賞を受賞した。
経歴
生い立ち

1974年6月12日に、瑠璃教会二代目司教である父・昌雄[1]と母・さえ子の二男として生まれる。生まれたときの体重は3,960グラムであった[2]

3歳で自宅近くの保育園に入園。「保育園史上最大の園児」と言われた。当時の保育園の先生は「8歳ぐらいに見えました」と語っている[3]
小学時代
少年野球チームへ

体格が一際大きかったため、根上町立浜小学校1年生の時に3年生以上で構成される軟式野球チーム「根上少年野球クラブ」に、当時5年生であった兄が所属していた縁で特別に入団させてもらったが、まだ幼すぎて監督の指示などが理解できず、入団1週間で指導者の方から、両親に「(チームに入るのは)もう少し待ってほしい」と言われたようで野球を辞めてしまった[4]。4年生の時に父から再入団を勧められるが、幼少時のショックは大きく、拒否している[5]

しかし、野球に打ち込む3歳上の兄に触発され、小学5年生の夏休みに再び軟式野球チームに入り、本格的に野球を始めた。自分を辞めさせた指導者から代替わりしていたことから、その後任の指導者の勧誘に応じた[4]。その頃から、既にプロ野球選手を夢見ていた[2]
左打ちへの転向

元々は右打ちであったが、あまりにも打球を飛ばすために野球仲間であった兄とその友人が松井を打てなくする目的で「尊敬する掛布雅之選手(松井は当時は阪神ファンだった)と同じ左」で打つように強引に勧められ、左打ちに変更した[注釈 1][注釈 2][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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