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松井慶四郎松井慶四郎
松井 慶四郎(まつい けいしろう、1868年3月28日(慶応4年3月5日) - 1946年(昭和21年)6月4日)は、明治から昭和時代の日本の外交官、外務大臣。男爵。大阪府出身。松井保蔵二男。 妻の照子は西日本の鉄道王と呼ばれた実業家の今村清之助の孫。長女に日本の洋裁教育と服飾デザインの礎を作った田中千代、二女・貞子は安川電機社長の安川寛(安川敬一郎孫)の妻[2]。長男はフランス大使となった松井明。慶四郎の死後、長男の明は襲爵手続をしなかった[3]。
略年譜
1889年(明治22年)- 東京帝国大学法科大学英法科卒業、外務省入省
1890年(明治23年)- 韓国(京城)公使館に赴任
1895年(明治28年)- アメリカ(ワシントン)公使館に赴任
1898年(明治31年)- イギリス(ロンドン)公使館に一等書記官として赴任
1902年(明治35年)- 清国(北京)公使館に赴任
1906年(明治39年)- 在フランス参事官[1]
1913年(大正2年)- 外務次官
1915年(大正4年)- 駐フランス大使
1919年(大正8年)- パリ講和会議の日本全権の一人に
1920年(大正9年)- ヴェルサイユ条約締結の功により男爵授爵
1924年(大正13年)- 清浦内閣の外務大臣、同年内閣総辞職とともに貴族院勅選議員に勅任
1925年(大正14年)- 駐イギリス大使
1938年(昭和15年)- 枢密顧問官
家族
栄典
位階
1891年(明治24年)12月21日 - 従七位[4] [5]
1892年(明治25年)11月14日 - 正七位[4][6]
1895年(明治28年)2月1日 - 従六位[4][7]
1897年(明治30年)10月30日 - 正六位[4][8]
1900年(明治33年)9月11日 - 従五位[4][9]