松下新平
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日本政治家松下 新平まつした しんぺい
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1966-08-18) 1966年8月18日(57歳)
出生地 宮崎県東諸県郡高岡町(現・宮崎市
出身校法政大学第二法学部政治学科
前職宮崎県職員
長峯基参議院議員秘書
所属政党(自由民主党→)
無所属→)
改革クラブ→)
自由民主党(谷垣G菅G
親族父・松下渉(宮崎県議会議員)
岳父・野辺修光(宮崎県議会議員、第10・13・16・17代宮崎県串間市長)
公式サイト参議院議員 松下 新平
参議院議員
選挙区宮崎県選挙区
当選回数4回
在任期間2004年 - 現職
宮崎県議会議員
選挙区東諸県郡選挙区
当選回数2回
在任期間1999年 - 2004年
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松下 新平(まつした しんぺい、1966年(昭和41年)8月18日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(4期)、自由民主党総務会長代理。

総務副大臣内閣府副大臣第3次安倍第1次改造内閣)、国土交通大臣政務官第2次安倍内閣)、宮崎県議会議員(2期)を務めた。
経歴

宮崎県東諸県郡高岡町(現・宮崎市高岡町)生まれ。1979年3月、高岡町立高岡小学校卒業。1982年3月、高岡町立高岡中学校卒業。1985年3月、宮崎県立宮崎西高等学校卒業。1992年3月、法政大学第二法学部政治学科卒業。1992年4月、宮崎県職員に就職[1]

1996年12月、宮崎県庁を退職。1997年1月から自民党参議院議員・長峯基の秘書として活動[1]

1999年宮崎県議会議員選挙に自民党から立候補し、初当選。2003年に再選。
自民党離党・参議院出馬

2004年4月、県議会議員を辞職。同年7月の第20回参議院議員通常選挙に無所属で宮崎県選挙区出馬[2]。民主党や連合宮崎など非自民勢力の支援も得て、自由民主党現職の上杉光弘(元自治大臣)を約1万7000票差の277,352票で破った。国会では民主党会派「民主党・新緑風会」に所属した。県選出の衆参国会議員5人のうち、唯一の非自民系国会議員であった[3]
民主党参院宮崎選挙区公認騒動・民主会派離脱

2007年7月5日に会派離脱を宣言。同年の参議院通常選挙で、長峯は自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られなかった。そのため、松下は民主党に自民党の公認を失った長峯の支援を求めたが、松下の元秘書である外山斎が立候補を表明したことで破談。外山の出馬に対して、「私には相談がなかった。ボタンの掛け違いだった」と不快感を示した。民主党が外山斎を宮崎選挙区に無所属として擁立したことに松下は反発し、会派を離脱して長峯を独自に支援すると表明したため、非自民票が割れた。松下は記者会見で、長峯氏の公設秘書を務めたことなどに触れ、「人間の道理、政治家の道理として長峯基先生を支持する」と支持理由を説明し、自らは民主系会派は離脱せず、自身の処遇は「会派なり党なりが判断する」と結論を委ねた。「選挙後の枠組みも含めて民主なのか自民なのかどういうスタンスなのか」と質問されると、松下は「ちょうどど真ん中とご理解いただきたい」と答えた[3]。地元紙『宮崎日日新聞7月9日号コラム「くろしお」[4]が「非自民」の票を投じた有権者への裏切りではないかと批判すると、松下は緑風会を引き合いに出し「参議院のあり方が問われている現状の国会運営や近い将来興ることを確信する政界再編の流れの中で、敢えて、厳しい環境ではありますが、これまで通り、軸がぶれることなく、高い志を持って、正々堂々と政治活動を行っていく私の想いとご理解いただきたいと想います。」と反論した[5]。長峯は無所属で出馬したものの、自民党公認の小斉平敏文に敗れた。
改革クラブ入党から自民党入り以降

2008年8月29日、この日設立の新党・改革クラブ(新党改革)に結党から参加[6]。2009年12月、次期参院選挙で自民党からの出馬を打診されたが、改革クラブ所属議員が4人となり政党交付金を受け取れる政党要件(国会議員5人以上)を満たさなくなるため、自民党は引退を表明している参議院議員の山内俊夫を改革クラブに移籍させると報道された。2010年(平成22年)1月15日に山内と入れ代わりで自民党入党[7]

2010年、第22回参議院議員通常選挙宮崎県選挙区における自民党公認候補となり、再選[8]

2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[9][10]。2012年秋、総裁退任直後の谷垣による勉強会「有隣会」に参加[要出典]。同年12月、第2次安倍内閣国土交通大臣政務官災害対策関係施策土地・建設産業水管理・国土保全鉄道自動車気象関係施策の担当[11])に就任した(2013年9月に退任)。

2015年10月、第3次安倍第1次改造内閣総務副大臣情報通信放送行政郵政行政に関すること[12])兼内閣府副大臣マイナンバー制度に関すること、郵政民営化に関すること[12])に就任した[2]

2016年7月、第24回参議院議員通常選挙で3選。2018年10月、自民党外交部会長に就任した[13]2019年9月、自民党財務金融部会長財政地域金融Fintech(フィンテック)などを所管[14])に就任。


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