杵築藩(木付藩、きつきはん)は、江戸時代の豊後国国東郡・速見郡内を領した藩。藩庁は杵築城(大分県杵築市)。 元来、この地は大友氏の一族である木付氏
略史
正保2年(1645年)、忠知は三河国吉田藩に転封となり、代わって松平英親が3万2千石にて豊後国高田藩より移封され、明治維新までこの地を領した。平地の少ない領地であったため、新田開発や工芸作物、特に藺草の栽培を奨励した。新田開発においては三河より100余人の農民を呼び、俗に「三河新田」と呼ばれる農地を開墾した。
3代重休の正徳2年(1712年)、幕府より与えられた朱印状において「木付」が「杵築」と書き誤っていた。そこで、幕府に伺いを立てた上、この地を杵築と表記するようになった。
享保の大飢饉以後、藩財政は悪化し、8代親賢は領内在住の学者・三浦梅園を登用し財政再建に取り組んだ。その進言により天明年間(1781年 - 1789年)に藩校「学習館」を開いた。
明治2年(1869年)、版籍奉還によって杵築知藩事に旧藩主の親貴が任じられ、行政区分としての杵築藩が置かれたが、明治4年(1871年)、廃藩置県により杵築県となり、のち、大分県に編入された。能見松平家は明治2年に華族に列し明治17年(1884年)に子爵となった。 譜代 40,000石 (1632年 - 1645年) 譜代 32,000石 (1645年 - 1871年)
歴代藩主
小笠原家
忠知
松平〔能見〕家
英親
重栄
重休
親純
親盈
親貞
親賢
親明
親良
親貴
幕末の領地
豊後国
国東郡のうち - 87村
速見郡のうち - 42村
参考文献
『藩史総覧』 児玉幸多・北島正元/監修 新人物往来社 1977年
『別冊歴史読本24 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』新人物往来社、1997年 ISBN 978-4404025241
『大名の日本地図』中嶋繁雄著 文春新書、2003年 ISBN 978-4166603527
『江戸三〇〇藩 バカ殿と名君 うちの殿さまは偉かった?』 八幡和郎/著 光文社新書 2004年
歴
大政奉還から廃藩置県までの間に存在した藩
慶応3年(1867年)旧暦10月 - 明治4年(1871年)旧暦7月