東京都四谷の曹洞宗の寺院については「東長寺 (新宿区)」をご覧ください。
東長寺
山門
所在地福岡県福岡市博多区御供所2-4
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度35分42.4秒 東経130度24分50.8秒 / 北緯33.595111度 東経130.414111度 / 33.595111; 130.414111
東長寺(とうちょうじ)は、福岡県福岡市博多区にある真言宗の寺院。九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)である。山号は南岳山、正式名称は東長密寺である。博多旧市街にある寺院の一つ。 『筑前国続風土記』によると、空海(弘法大師)が唐での修行を終え帰国の途につき、大同元年(806年)10月に博多へ帰着、翌年4月末まで博多に滞在したと記されている[1]。滞在のおりに、密教東漸(とうぜん[注釈 1])を祈願し、本尊とし不動明王像を空海自らが彫り、一伽藍を建立したのが始まりとされる[1][2]。寺院名の東長密寺は、「密教が東に長く伝わるように」と祈誓し命名し[3][4]、空海が創建した日本最古の寺とされる[5]。初期の伽藍は、博多の海辺の勤行町(略して行町(ぎょうのちょう)ともいう。)(現・呉服町)にあり[2]、大伽藍を有し寺勢は盛んだったとされ[4]、空海が自身の像を彫り大師堂に安置し、また多聞天、持国天像も空海が自作したと記されている[1]。 元弘年間の頃に兵火にあい3年後に再興するが、当初の半分にも及ばず[6]。再度、永禄・天正年間に兵火にあい荒廃するが、福岡藩2代藩主黒田忠之が、真言宗に帰依し大檀越となり、現在地に鐘楼・護摩堂・大日堂・本堂などを建立、また寺領200石を寄進して再興し、菩提所とした[2][6]。また、福岡藩3代藩主黒田光之も、寺領100石と山林15万坪(約49.5万km2)を寄進し加増した[2]。
歴史
伽藍
山門 - 「南岳山」の扁額が架かる。
門に向かって右に「九州三十六不動霊場第三十六番札所」、左に「九州八十八ヶ所第一番霊場」の表札が架かる[7]。また、山門右側方に「弘法大師開基 真言密教最初霊場 南岳山 東長密寺」の寺号標、左側方に「南岳山 東長密寺開創千弐百年記念 弘法大師開基 密教東漸日本最初霊場 西安 青龍寺住持 寛旭」の石碑が建つ[7]。
六角堂 - 天保13年(1842年)に建立。覆屋と回転式の仏龕からなる仏殿である[2](福岡市指定文化財で詳述)。正面に一対の狛犬が置かれている[8]。通常、扉が閉まっているが毎月28日に開帳される[5]。
大仏殿 - 福岡大仏とよばれる木造迦如来坐像を安置する。
高さ10.8メートル、光背の高さ16.1メートル、重さ30トンの檜造で、1992年(平成4年)に完成[5]。膝上で両手を組む法界定印(ほっかいじょういん)を結ぶ。像高10.8メートルは、人間の煩悩の数(百八とされる)にちなむ。木造坐像としては日本最大級を誇る(日本一と紹介する資料もある[5]が、但馬大仏の方が木造坐像として日本最大ではないかとする資料もある)。光背の後方壁面には5000もの小仏がある[5]。大仏台座周囲に真っ暗な通路があり「地獄極楽巡り(戒壇廻り)」ができる[9]。大仏殿は鉄筋コンクリート造りの2階建ての2階にあり、1階は駐車場である。
鐘楼 - 鉄筋コンクリート造りの寺務所2階にある。
本堂 - 本尊は秘仏・木造千手観音立像(重要文化財で詳述)、弘法大師坐像(秘仏)、不動明王立像。
多宝塔 - 本堂に接し後方にあり、鐘楼・大仏殿辺り(2階)から見えるが、全景は確認できない。
地蔵堂 - 九州二十四地蔵尊22番霊場となっている。
五重塔 - 2011年(平成23年)5月に完成。総檜造。高さ25.9メートル[10]。
釘を使用しない伝統工法で建てられ、非公開ではあるが、塔内部には四季の風物や仏像を描いた日本画が飾られている[11]。
本尊 - 大日如来[10]。
材木 - 檜は、奈良の吉野檜、高知の四万十檜の赤身材を使用し、総使用木材重量は78トン[10]。
屋根 - 瓦は、耐寒性に優れた岐阜の美濃瓦を17850枚を使用[10]。
相輪 - 青銅鋳物製金箔仕上げで、高さ8メートル。露盤の中央に輪宝、右に黒田藤、左に五三の桐の寺紋が彫られている[10]。五重塔自体は心柱のある伝統工法で地震にも強いが、相輪部と塔の接続部は地震に弱いため、最新工法である免震ゴムを装着し耐震性が高められている[11]。
基壇 - 沓石は岡山の万成御影石、基壇は佐賀の天山御影石を使用。総使用石材重量は30トン[10]。
塗装 - 膠、鉛丹、胡粉を用い木材を保護している[10]。
福岡藩主黒田家墓所 - 福岡藩二代藩主黒田忠之、三代藩主光之、八代藩主治高の墓所[12](福岡市指定文化財で詳述)。
藩祖・黒田孝高、初代藩主・長政など黒田家の菩提寺は、崇福寺 (福岡市)であるが、当寺は黒田家の準菩提寺となっている[2]。