東部軍 (日本軍)
創設1935年(昭和10年)8月1日
(東部防衛司令部(官衙))
再編成1937年(昭和12年)11月30日
(東部防衛司令部(軍隊))
1940年(昭和15年)8月1日
(東部軍)
廃止1945年(昭和20年)2月11日
所属政体大日本帝国
所属組織大日本帝国陸軍
部隊編制単位軍(東部防衛司令部は官衙)
所在地日本
編成地東京
最終上級単位防衛総司令部
担当地域東日本
主な戦歴第二次世界大戦
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東部軍(とうぶぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。東部防衛司令部として発足し東日本を管轄区域とする東部軍司令部が軍管区内の軍隊を指揮・統率した。1945年(昭和20年)2月11日、新編された第12方面軍の指揮権発動により廃止された。
現在の陸上自衛隊東部方面隊及び東北方面隊に相当する。 1935年(昭和10年)8月、内地(北海道および樺太を除く)を東部(東日本)・中部(中部近畿)・西部(中国四国九州)の三つの区域に分け、それぞれの区域に防空計画官衙としての防衛司令部が新設され、東部防衛司令部は東京警備司令部が兼ね、中部防衛司令部は第4師団司令部が、西部防衛司令部は第12師団司令部が兼ねた。そして1937年(昭和12年)12月に東京警備司令部を廃止、防衛司令部の編制を官衙から軍隊に改め、防衛(防空のこと)および警備に関し管区内の軍隊を指揮し官衙・学校を区処し得るものとし、さらに1940年(昭和15年)8月には東部・中部・西部の各防衛司令部を東部・中部・西部軍司令部に改称し、指揮のみでなく統率もするものとした。また同年12月新たに樺太・北海道・青森県・岩手県・秋田県・山形県を管轄する北部軍司令部を設けた。 なお、1941年(昭和16年)7月、これらの軍司令部を広域防衛の見地から一元指揮する為に防衛総司令部を置き、1944年(昭和19年)に指揮のみでなく統率もするものとしたが、1945年(昭和20年)には、第1総軍・第2総軍に改編し完全な統率機関とした。(ただし、北部軍については1943年(昭和18年)北方軍に、1944年(昭和19年)第5方面軍に改編、第1総軍や第2総軍とは別の体系とした。)
沿革
司令部人事
歴代司令官
東部防衛司令官
(兼) 西義一 大将:1935年(昭和10年)8月1日[1] - 1935年(昭和10年)12月2日(本職:東京警備司令官[1])
香椎浩平 中将:1935年(昭和10年)12月2日 - 1936年(昭和11年)4月2日(兼東京警備司令官)
岩越恒一 中将:1936年(昭和11年)4月2日 - 1937年(昭和12年)8月2日(兼東京警備司令官)
中村孝太郎 中将:1937年(昭和12年)8月2日 - 1937年(昭和12年)11月30日(兼東京警備司令官)
中村孝太郎 中将:1937年(昭和12年)11月30日 - 1938年(昭和13年)6月23日
川岸文三郎 中将:1938年(昭和13年)6月23日 - 1939年(昭和14年)12月1日
稲葉四郎 中将:1939年(昭和14年)12月1日 - 1940年(昭和15年)8月1日(東部軍に改称)
東部軍司令官
稲葉四郎 中将:1940年(昭和15年)8月1日 - 1941年(昭和16年)10月15日
田中静壱 中将:1941年(昭和16年)10月15日 - 1941年(昭和16年)12月24日
中村孝太郎 大将:1941年(昭和16年)12月24日 - 1943年(昭和18年)5月1日
土肥原賢二 大将:1943年(昭和18年)5月1日 - 1944年(昭和19年)3月22日