東部軍管区
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東部軍管区
創設
1945年昭和20年)2月1日
廃止1945年(昭和20年)
所属政体大日本帝国
所属組織大日本帝国陸軍
部隊編制単位軍管区
所在地日本
編成地東京
上級単位防衛総司令部
最終上級単位第1総軍
担当地域東日本
最終位置東京
主な戦歴第二次世界大戦
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東部軍管区(とうぶぐんかんく)は、大日本帝国陸軍軍管区の一つ。


目次

1 沿革

2 概要

2.1 略年表


3 司令部人事

3.1 歴代司令官

3.2 歴代参謀長

3.3 歴代参謀副長


4 関連項目

5 参考文献

6 外部リンク


沿革

本土決戦に備え、1945年(昭和20年)2月1日に、旧来の東部軍を改編したものである。発足当初は防衛総司令部隷下であったが、その後すぐに防衛総司令部も第1総軍第2総軍に改編され、第1総軍隷下となった。

もともとは、1923年大正12年)11月に東京警備司令部令(大正12年勅令第480号)に基づいた東京警備司令部が設置されていた。これは首都圏(東京府東京市荏原郡豊多摩郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡神奈川県横浜市及び橘樹郡)の警備を目的としたもので、それまでの関東戒厳司令部に代わるものであった。

その後、1935年昭和10年)8月に東部・中部・西部の各防衛司令部が設置され、東部防衛司令部と東京警備司令部は兼職とされたが、1937年(昭和12年)11月30日から東部防衛司令部に一本化された。1940年(昭和15年)8月1日に、東部軍が設置された。
概要司令部が置かれた第一生命館(写真は戦後撮影)

通称号:

編制時期:昭和20年2月1日(東部軍以前は下記年表参照)

最終位置:東京

上級部隊:天皇直隷

略年表

1923年(
大正12年)9月1日 - 関東大震災戒厳令施行

1923年(大正12年)9月3日 - 関東戒厳司令部設置

1923年(大正12年)11月15日 - 戒厳令解除

1923年(大正12年)11月16日- 関東戒厳司令部廃止・東京警備司令部設置

1932年(昭和7年)5月15日 - 五・一五事件

1935年(昭和10年)8月1日 - 東部防衛司令部設置

1936年(昭和11年)2月26日 - 二・二六事件

1936年(昭和11年)2月27日 - 戒厳令施行・東京戒厳司令部設置

1937年(昭和12年)11月30日 - 東京警備司令部廃止

1940年(昭和15年)8月1日 - 東京防衛司令部を東部軍に改編

1945年(昭和20年)2月1日 - 東部軍を東部軍管区改編

1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦・宮城事件

司令部人事

氏名、就任日の順に表示した。退任日は特に記していない物は全て後任者の就任日がそれに当る。

東部軍管区司令官は第12方面軍司令官が兼ねた。

第12方面軍司令官、参謀長及び参謀副長を兼任した者は、役職を表示する場合、『第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官』となり、第12方面軍が本職の扱いであった。

歴代司令官

藤江恵輔 大将:1945年2月1日(兼第12方面軍司令官)

田中静壱 大将:1945年3月9日 - 8月24日(兼第12方面軍司令官)

土肥原賢二 大将:1945年8月25日(兼第12方面軍司令官)

北野憲造 中将:1945年9月23日 - 11月30日(兼第12方面軍司令官)

歴代参謀長

辰巳栄一 中将:1945年2月1日(兼第12方面軍参謀長)

高島辰彦 少将:1945年3月1日(兼第12方面軍参謀長)

歴代参謀副長

高嶋辰彦
少将:1945年2月1日 - 3月1日(兼第12方面軍参謀副長)

山崎正男 少将:1945年3月1日 - 8月5日(兼第12方面軍参謀副長)

吉野弘之 少将:1945年6月1日 - 8月6日

小沼治夫 少将:1945年8月5日 - 11月1日(兼第12方面軍参謀副長)

小野打寛 少将:1945年9月10日 -

関連項目

東部軍管区教育隊

近衛師団

第1師団


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