東部方面航空隊
創設1962年(昭和37年)1月18日
所属政体 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位隊
兵科航空科
所在地東京都 立川市
編成地霞ヶ浦
上級単位東部方面隊
担当地域関東・甲信越・静岡県
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東部方面航空隊(とうぶほうめんこうくうたい、JGSDF Eastern Army Aviation Group)は、東京都立川市の立川駐屯地に隊本部が駐屯する、東部方面隊直轄の航空科部隊。 対戦車ヘリコプターによる戦闘及び方面隷下の各部隊に対する航空偵察・空中機動・航空輸送・指揮連絡等を主任務とする。主力は立川駐屯地に、第4対戦車ヘリコプター隊は木更津駐屯地にそれぞれ駐屯している。飛行場運用を担当する管制気象隊のみ管内各飛行場単位で配置されている。 特記ないものは立川駐屯地内に所在している。 官職名階級氏名補職発令日前職
概要
沿革
1962年(昭和37年)
1月18日:東部方面航空隊が霞ヶ浦駐屯地において編成完結。
東部方面航空隊本部、東部方面飛行隊及び第12飛行隊が霞ヶ浦駐屯地に新編。
第1管区隊第1航空隊(霞ヶ浦駐屯地)が第1飛行隊に改編され隷下に編合。
富士学校飛行班(滝ヶ原駐屯地)が富士飛行班に改編され[1]隷下に編合。
東部方面管制気象隊が霞ヶ浦駐屯地に新編。
東部方面管制気象隊第2派遣隊が滝ヶ原駐屯地において編成完結[2]。
11月30日:航空隊本部が霞ヶ浦駐屯地から宇都宮北分屯地に移駐。
1964年(昭和39年)
3月24日:第306航空野整備中隊が第306航空野整備隊に改編され隷下に編合。
3月26日:第306航空野整備隊が宇都宮北分屯地に移駐。
1969年(昭和44年)8月1日:東部方面ヘリコプター隊が霞ヶ浦駐屯地に新編。
1972年(昭和47年)
3月8日:立川派遣隊を編成。
12月27日:部隊移駐
航空隊本部、第306航空野整備隊の一部が宇都宮北分屯地から立川駐屯地に移駐。
東部方面ヘリコプター隊本部及び付隊・第1飛行隊、管制気象隊が霞ヶ浦駐屯地から立川駐屯地に移駐。
1973年(昭和48年)5月3日:立川駐屯地への移駐完了。
1975年(昭和50年)3月26日:東部方面管制気象隊第2派遣隊が飛行場管制開始。
1976年(昭和51年)11月10日:東部方面管制気象隊第2派遣隊が航空気象業務開始。
1977年(昭和52年)3月25日:富士飛行班が航空学校隷下に新編された教育支援飛行隊に編入[1]。
1978年(昭和53年)4月5日:第306航空野整備隊が東部方面航空野整備隊に称号変更。
1992年(平成04年)3月27日:第4対戦車ヘリコプター隊が木更津駐屯地に新編。
1994年(平成06年)3月28日:部隊改編。
第1飛行隊が第1師団隷下に編入。
第12飛行隊が第12師団隷下に編入。
東部方面飛行隊を東部方面航空隊本部付隊(立川駐屯地)に改編。
2001年(平成13年)3月27日:第12旅団第12ヘリコプター隊新編に伴い、管制気象隊第5派遣隊を相馬原駐屯地に新編。
2004年(平成16年)3月:防衛庁庁舎A棟のヘリポート管理業務を中央管制気象隊に移管し、管制気象隊基地隊市ヶ谷派遣隊を廃止。
2022年(令和04年)3月:第4対戦車ヘリコプター隊の1個飛行隊が廃止。
部隊編成
東部方面航空隊本部
東部方面航空隊本部付隊「東方航-本」
第4対戦車ヘリコプター隊(木更津駐屯地)
第4対戦車ヘリコプター隊本部
第4対戦車ヘリコプター隊本部付隊「4対戦ヘリ‐付」
飛行支援隊「4対戦ヘリ‐支」
飛行隊「4対戦ヘリ‐飛」
東部方面ヘリコプター隊
東部方面ヘリコプター隊本部
東部方面ヘリコプター隊本部付隊「東方ヘリ‐本」
第1飛行隊「東方ヘリ‐1」
第2飛行隊「東方ヘリ‐2」
東部方面管制気象隊
東部方面管制気象隊本部
基地隊「東方管気-基」
第1派遣隊(霞ヶ浦駐屯地)
第2派遣隊(滝ヶ原駐屯地):中隊規模の部隊で隊長は1等陸尉で定員は25名。飛行の統制、調整及び援助に係わる業務並びに航空気象支援業務を行い、必要に応じ富士地区で訓練をする地上部隊に対し気象支援等を実施する。
隊本部:他部隊との調整。
通信班:通信業務
管制班:飛行の統制、調整
気象班:航空気象支援
第3派遣隊(木更津駐屯地)
第4派遣隊(北宇都宮駐屯地)
第5派遣隊(相馬原駐屯地)
東部方面航空野整備隊「東方航整」
東部方面航空野整備隊本部
整備隊
補給隊
主要幹部
東部方面航空隊長
兼 立川駐屯地司令1等陸佐佐藤健2022年12月01日防衛大学校教授
副隊長1等陸佐横山純一2023年03月13日東北方面総監部人事部援護業務課長
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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