東邦航空
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東邦航空
TOHO AIR SERVICE

IATA
-ICAO
THKコールサイン
-

法人番号7010601031312
設立1960年7月7日
AOC #東空域第22号
拠点空港東京ヘリポート
航空連合非加盟
親会社川田工業株式会社
就航地6都市
代表者宇田川雅之(代表取締役社長)
外部リンク ⇒http://www.tohoair.co.jp/
備考
伊豆諸島における東邦航空の定期航空サービスについては東京愛らんどシャトルを参照されたい。
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東邦航空株式会社
TOHO AIR SERVICE Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
136-0082
東京都江東区新木場四丁目7番51号
東京ヘリポート
設立1960年7月7日
業種空運業
法人番号7010601031312
事業内容航空運送事業等
代表者宇田川雅之(代表取締役社長)
資本金180,000,000円
純利益1882万2000円
(2022年03月31日時点)[1]
総資産44億2228万9000円
(2022年03月31日時点)[1]
決算期3月31日
主要株主川田工業株式会社 66.6%
外部リンク ⇒http://www.tohoair.co.jp/
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御蔵島ヘリポートに到着した東邦航空のヘリコプターS-76

東邦航空株式会社(とうほうこうくう)は、日本で唯一のヘリコミューター輸送を行っている航空会社である。
概要

高速回転翼航空機である「シコルスキーS-76」でヘリコミューター輸送を行っている。また、ヘリコプターを使用した山小屋への物資荷上げや、送電線建設、遊覧飛行なども行っている。2011年にはドクターヘリ事業を開始した。川田工業の連結子会社である。

かつてはヘリコプターを使用した民間山岳遭難救助活動も行っており、2000年には山岳救助部門を有限会社トーホーエアーレスキューとして分社化したが、2002年にヘリコプターを利用した民間山岳救助のパイオニア的存在であった同社代表の篠原秋彦が救助活動中の事故により死亡し、山岳遭難救助から撤退した。
沿革

1960年 - 三ツ矢航空として発足。

1966年 - 特撮テレビドラマ「ウルトラQ」に、星川航空の機体として三ツ矢航空の所有機が登場している。

1967年 - 東邦航空と社名変更し、その後はヘリと固定翼を併用した総合的な運航会社として発展してきた。

1993年 - 東京都島しょ振興公社の協力のもと伊豆諸島の六島(大島利島三宅島御蔵島八丈島青ヶ島)を結ぶ路線「東京愛らんどシャトル」の運航を開始。

2005年 - 9月21日に本社を調布市調布飛行場から、東京都江東区新木場東京ヘリポートへ移転。

2011年 - 3月11日東日本大震災において、東北支社のある仙台空港が津波により壊滅的被害を受け、同社管理の報道ヘリコプター等が多数流出した。空港は管制機能を喪失していたが、東北地方整備局から運航を委託されていた災害対策用ヘリコプターの機長が独自の判断で離陸し情報収集に当たっている[2]

2012年 - 11月13日 東京愛らんどシャトル搭乗者30万人達成[3][4]

事故・インシデント

1980年代前半は農薬散布中の事故が多発した。2000年代以降は資材輸送、物資輸送中の事故が多く発生している。

1974年4月7日 - 調布飛行場でセスナ175A(英語版)(JA3136)が地上滑走中に建物と接触、中破した。

1975年5月17日 - 福島県郡山市川崎ベル47G3B-KH4(JA7501)がエンジン始動時にメインローターの不具合により、メインローターがテイルブームに接触、中破した。

1975年10月27日 - 宮城県黒川郡大郷町で肥料散布中のセスナA188B(英語版)(JA3731)が墜落、大破した。機長が死亡した。

1976年10月20日 - 調布飛行場でシュドSE3130アルエットII(JA9002)が、試験飛行終了後に着陸する際、格納庫にテイルローターを接触させ小破した。


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