東芝
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この項目では、企業について説明しています。その他の東芝、Toshibaについては「東芝 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

株式会社東芝
TOSHIBA CORPORATION
東芝本社(浜松町ビルディング
種類株式会社
機関設計指名委員会等設置会社[1]
市場情報東証プライム 6502
1949年5月16日 - 2023年12月20日名証プレミア 6502
1949年5月16日 - 2023年12月20日LSE TOSOTC Pink TOSBF
本社所在地 日本
〒105-8001(浜松町本社事務所)
東京都港区芝浦一丁目1番1号
浜松町ビルディング[2]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分5.8秒 東経139度45分27.9秒 / 北緯35.651611度 東経139.757750度 / 35.651611; 139.757750
〒212-8585(川崎本社事務所)
神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34
ラゾーナ川崎東芝ビル[2]
本店所在地105-8001
東京都港区芝浦一丁目1番1号
浜松町ビルディング
設立1904年6月25日
(株式会社芝浦製作所)
業種電気機器
法人番号2010401044997
事業内容エネルギー
インフラ
電子デバイス
デジタルソリューション
主な製品も参照)
代表者島田太郎代表取締役社長執行役員CEO
資本金2008億69百万円
(2023年3月31日現在)[3]
発行済株式総数4億3313万株
(2023年3月31日現在)[3]
売上高連結:3兆3616億57百万円
単体:944億30百万円
(2023年3月期)[3]
営業利益連結:1105億49百万円
単体:△348億65百万円
(2023年3月期)[3]
純利益連結:1265億73百万円
単体:2307億71百万円
(2023年3月期)[3]
純資産連結:1兆3370億67百万円
単体:7018億34百万円
(2023年3月期)[3]
総資産連結:3兆5392億68百万円
単体:1兆6835億66百万円
(2023年3月期)[3]
従業員数連結:10万6648人
(2023年3月31日現在)
決算期3月末日
会計監査人PwCあらた有限責任監査法人
主要子会社東芝インフラシステムズ
東芝プラントシステム
東芝エネルギーシステムズ
東芝デバイス&ストレージ
東芝デジタルソリューションズ
東芝テック(52.4%)
#関連企業」を参照(2023年3月31日時点)[3]
関係する人物初代田中久重(電信機工場創業者)
三井高泰(芝浦製作所初代会長)
藤山雷太(芝浦製作所支配人)
藤岡市助(合資会社
白熱舎創業者)
立川勇次郎(合資会社
白熱舎共同創業者)
外部リンクhttps://www.global.toshiba
特記事項:米国会計基準のため連結純利益は当社株主に帰属する当期純利益。
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株式会社東芝(とうしば、英語: TOSHIBA CORPORATION)は、日本総合電機メーカーである。2017年に事業の分社化・子会社化を完了させているが、電池事業部門[4]などの事業などは残存しており事業持株会社となっている。
概要国産一号機の冷蔵庫、洗濯機、掃除機 (東芝科学館第16代東芝社長佐々木則夫(左)は内閣総理大臣安倍晋三(右)から任命され内閣府経済財政諮問会議議員を務めた

東京都港区芝浦浜松町ビルディング(旧東芝ビルディング)に浜松町本社事務所を、神奈川県川崎市幸区ラゾーナ川崎東芝ビルに川崎本社事務所を置く2本社体制である。

社名は、旧社名の「東京芝浦電気」の略である。

東芝は製品の製造からサービスに至るまでの間に、多岐に渡る子会社関連会社を形成しており、東芝グループの中核に位置する巨大企業である。東芝はかつてテレビ家電製品携帯電話パソコンなど消費者向け製品でも事業展開していたが、現在はコンスーマ商品から撤退し電子部品HDDなど)・原子炉・重電機・軍事機器・鉄道車両など、企業間取引による重工業分野へ重点的に事業展開をしている。

冷蔵庫洗濯機掃除機電子レンジ炊飯器など、家電製品の国産化第1号の製品が多く白物家電の日本におけるパイオニアであった。しかし2015年粉飾決算による経営不振発覚を契機に、主力事業としていたBtoC事業の白物家電事業、テレビ、パソコン事業及び医療機器事業、メモリ事業を中国企業などに売却し、社会インフラを中心とするBtoB事業を中心としたメーカーに転換した[5][6]

電機メーカーとしては、最初に委員会設置会社に移行した企業でもある(移行した2003年当時は、委員会等設置会社。現在の指名委員会等設置会社)。委員会設置会社となってからは、会長は代表権を有さない取締役会長となっていたが、2016年6月より代表執行役会長を新設した。

歴代の社長ら役員は、財界活動に積極的であることも知られている。石坂泰三(第4代社長)と土光敏夫(第6代社長)が経済団体連合会会長に就任し、岡村正(第14代社長)が日本商工会議所会頭に就任するなど、財界四団体のトップを輩出している。そのほか、西室泰三(第13代社長)は日本経済団体連合会のナンバー2である評議員会議長に就任し、佐々木則夫(第16代社長)が現役社長の頃から内閣府経済財政諮問会議議員に就任するなど、日本の政財界に強い影響力を及ぼしている。特に石坂泰三は「財界総理」との異名を持つほどの影響力を誇り、東芝が財界で重きをなす礎を築いた。

東芝は、三井グループの構成企業であり、二木会(三井グループ傘下各社の社長会)、月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)、三井業際研究所、綱町三井倶楽部に加盟している。

2021年4月7日イギリスの投資ファンド・CVC キャピタル・パートナーズからの買収が提案されていることが報じられた。これが実行されれば、東芝の株式は上場廃止となる。この件への対応などをめぐり、幹部級社員の半分が車谷暢昭社長の不信任を考えているとの社内調査結果が報道機関にリークされ[7]、14日午前の臨時取締役会で同社長は辞任を表明した[8]

2023年3月23日15時頃、日本国内の投資ファンドである日本産業パートナーズ(JIP)が設立した特定目的会社である「TBJH株式会社」(後のTBJH合同会社)による非上場化を前提としたTOB形式での買収案の受け入れを取締役会で決議したと日本経済新聞などのメディアが一斉に報じ[9]、同日午後7時30分頃に買収案の受け入れとTOBの実施について同社から正式に発表があった[10]

これを受け東京証券取引所名古屋証券取引所は、同社の株式を上場廃止の恐れがある「監理銘柄」に指定した[11]。TBJH合同会社は1株4620円でTOBを実施し、同年9月27日をもって株式の78.65%を取得することとなった。同年12月20日をもって株式上場を廃止した。

2024年5月16日、 国内のグループ全体の社員を対象に最大4千人の早期希望退職を募ると共に本社機能を事業子会社や研究開発部門の拠点がある川崎市に移転、集約することを発表した[12]
歴史
創業

創業者の、初代田中久重1799年 - 1881年)は、からくり人形「弓曳童子」や和時計「万年時計(万年自鳴鐘)」などを開発したことから、「からくり儀右衛門」として知られる。初代久重が東京銀座に工場(諸器械製造所)を興し、弟子であり養子の田中大吉(後の2代目久重(1846年 - 1905年)が東京・芝浦に移転させた。この工場の技術者の中に、後の沖電気工業創業者・沖牙太郎池貝創業者・池貝庄太郎宮田工業創業者・宮田栄助らがいた。
沿革筆記体「Toshiba」ロゴ(傘マーク)横長「TOSHIBA」ロゴ現在でも使用されている「傘マーク」。これは阪神列車種類選別装置用車上子で、阪神の車両のほかに相互直通で使用されている近鉄山陽の車両にも使用されている。この車両は近鉄22600系
1875年


初代田中久重が東京・銀座に電信機工場を創設。

1882年


田中大吉(後の2代目田中久重)が東京・芝浦に「田中製造所」を設立。

1890年


藤岡市助三吉正一が東京・京橋に「合資会社白熱舎」を創設、日本で最初の一般家庭向け白熱電球の生産を開始する。追従する他社を寄せ付けず市場をほぼ独占していた[13]

1893年


三井財閥より藤山雷太を招聘し、田中製作所から「芝浦製作所」として再スタート[14]

1896年


合資会社白熱舎が「東京白熱電燈球製造株式会社」に社名変更。

1899年


東京白熱電燈球製造株式会社が「東京電気株式会社」に社名変更。
ゼネラル・エレクトリック」も参照
1904年


芝浦製作所が会社組織となり「株式会社芝浦製作所」設立[15]

1939年


重電メーカーの株式会社芝浦製作所が軽電メーカーの東京電気株式会社を合併し、東京芝浦電気株式会社に商号変更。

1949年


石坂泰三が社長に就任。株式上場。

1950年


過度経済力集中排除法の適用を受け、網干工場が西芝電機として分離独立。

5月 筆記体の“Toshiba”マーク(東芝傘マーク、傘ロゴ)を制定[16]。全東芝を表す場合と、家庭電気器具に使用。
1955年頃の「マツダ」ブランドのラジオ用真空管
1956年


12月 ラジオ東京テレビ(KRテレビ。現在のTBSテレビ)で東芝単独提供によるテレビドラマ東芝日曜劇場」の放送を開始。

1960年


レコード会社 東芝音楽工業(→ 東芝EMI株式会社 → EMIミュージック・ジャパンユニバーサル ミュージック合同会社 EMIレコーズ・ジャパンレーベル → ユニバーサル ミュージック合同会社 EMI Rレーベル)を設立。


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