東芝ホクト電子株式会社
TOSHIBA HOKUTO ELECTRONICS CORPORATION
東芝ホクト電子(とうしばホクトでんし)は、北海道旭川市にある企業。東芝の関係会社[3]。 第二次世界大戦の最中に空襲の危険性が高い工場の疎開を計画した東京芝浦電気(現在の東芝)が、北海道庁に適地を打診したことがきっかけである[4]。当時の旭川市議会議員や市当局、商工会議所が一丸となって誘致活動を行った結果、転用可能な建物やガス会社から近い工場敷地があり、労働力が確保し易やすく食糧事情も良い点などにより、1943年(昭和18年)に旭川への工場建設が決定した[4]。
目次
1 沿革
2 製品
3 事業所
4 脚注
5 外部リンク
沿革
1945年(昭和20年):「東芝旭川工場」として創業[5]。
1950年(昭和25年):過度経済力集中排除法により東芝から分離独立し、「ホクト電球工業」設立[5]。
1960年(昭和35年):白黒テレビ用ブラウン管製造開始[5]。
1967年(昭和42年):「ホクト電子工業」に社名変更[5]。
1975年(昭和50年):観測用ブラウン管製造開始[5]。
1978年(昭和53年):モノクロームディスプレイ管製造開始[5]。
1986年(昭和61年):カラーテレビ管用電子銃製造開始[5]。