東舞鶴駅
南口(2019年6月)
ひがしまいづる
Higashi-Maizuru
所在地京都府舞鶴市浜町5-3.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度28分6.87秒 東経135度23分41.26秒 / 北緯35.4685750度 東経135.3947944度 / 35.4685750; 135.3947944
東舞鶴駅
ひがしまいづる
Higashi-Maizuru
(1.6 km) 北吸►
所属事業者日本国有鉄道(国鉄)
所属路線舞鶴線(中舞鶴線)
キロ程0.0 km(東舞鶴起点)
廃止年月日1972年(昭和47年)11月1日
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北口(2022年11月)
東舞鶴駅(ひがしまいづるえき)は、京都府舞鶴市浜町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。 京都府北部における行政・経済の中心都市である舞鶴市において、拠点性を持つ駅の一つである。 舞鶴線と小浜線の終点であり、小浜線の初電・終電以外の全列車が当駅で折返す。舞鶴線は近畿統括本部、小浜線は金沢支社が管轄しているため、当駅の上り場内信号機(松尾寺方)に両支社の境界標が併設されている。当駅構内は近畿統括本部の管轄である。 京都駅 - 当駅間を特急「まいづる」が1日上り7本、下り8本運転されている。 かつて新舞鶴町、後に東舞鶴市と呼ばれた舞鶴市東部(東舞鶴)は、1901年(明治34年)に日本海側唯一の軍事拠点として開府した舞鶴鎮守府を中心にして軍都として急速に発展した街であり、第二次世界大戦までは度々皇族が訪れたことから貴賓室が設置される程の大きな駅舎を有していたほか、戦後は大陸から舞鶴港への引揚者が当駅より各地へと帰還した。現在は京都府北部における行政の中心都市として官公庁が集中することから、出張利用が多い。なお1972年(昭和47年)までは中舞鶴線などの支線や多くの留置線を有しており構内は広かったが、支線は高架化に伴い廃止され、現在は跡地に高層マンションなどが建設されている。
概要
歴史高架化前の駅舎(1988年7月)
1904年(明治37年)11月3日:官設鉄道(後に日本国有鉄道)福知山駅 - 綾部駅 - 新舞鶴駅間開通により新舞鶴駅(しんまいづるえき)として開業[3]。即日阪鶴鉄道に貸与され、客貨取扱を開始する。
1907年(明治40年)8月1日:阪鶴鉄道が国有化される[3]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称が制定され、阪鶴線の所属となる。
1912年(明治45年)3月1日:線路名称が改定され、阪鶴線の綾部駅以北を舞鶴線に改称したことに伴い、当駅もその所属となる。
1919年(大正8年)7月21日:中舞鶴駅への支線(中舞鶴線)が開通する[4]。
1922年(大正11年)12月20日:小浜線が若狭高浜駅から当駅まで延伸される[5]。
1939年(昭和14年)6月1日:東舞鶴駅に改称する[4][5]。
1972年(昭和47年)11月1日:中舞鶴線が廃止される[4]。
1975年(昭和50年)7月22日:みどりの窓口の営業を開始[6]。
1980年(昭和55年)9月30日:貨物取扱を廃止する[3][5]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる[3]。
1992年(平成4年)6月9日:高架化に着手[7][8]。
1996年(平成8年)7月13日:高架駅となる[1]。
2003年(平成15年):第4回近畿の駅百選に選定される。
2006年(平成18年)7月1日:舞鶴鉄道部廃止に伴い福知山支社直轄に戻され、西舞鶴駅の1被管理駅となる。
(時期不明):管理駅が西舞鶴駅から綾部駅へ移転したことにより、綾部駅の被管理駅となる。
2021年(令和3年)3月13日:綾部駅方面においてICカード「ICOCA」の利用が可能となる[9][10]。
2022年(令和4年)
6月1日:管理駅が綾部駅から福知山駅へ変更となる。
10月1日:組織改正により、近畿統括本部福知山管理部の管轄になる。