東秩父村
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ひがしちちぶむら 
東秩父村
道の駅和紙の里ひがしちちぶ


東秩父村旗東秩父村章
1967年9月1日制定[1]

日本
地方関東地方
都道府県埼玉県
秩父郡
市町村コード11369-7
法人番号1000020113697
面積37.06km2

総人口2,421人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度65.3人/km2
隣接自治体秩父市秩父郡皆野町大里郡寄居町比企郡小川町ときがわ町
村の木ツキノキ
村の花ムラサキツツジ
村の鳥ウグイス
東秩父村役場
村長[編集]足立理助
所在地355-0375
埼玉県秩父郡東秩父村大字御堂634番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度03分29秒 東経139度11分41秒 / 北緯36.05817度 東経139.19464度 / 36.05817; 139.19464座標: 北緯36度03分29秒 東経139度11分41秒 / 北緯36.05817度 東経139.19464度 / 36.05817; 139.19464

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和紙の里製造所(道の駅和紙の里ひがしちちぶ

東秩父村(ひがしちちぶむら)は、埼玉県の西部に位置し、秩父郡に属する
概要

秩父郡に属しているものの秩父盆地から山を隔てた東側にあることから、広域行政においては秩父地方ではなく隣接する比企郡自治体とともに比企広域市町村圏組合を構成し、比企圏域に属する。警察署小川警察署(小川町)、保健所は東松山保健所(東松山市)の管轄である。2006年(平成18年)2月1日に、都幾川村玉川村が合併しときがわ町となって以降、埼玉県内で唯一の村である。

古くから「和紙の里」として知られ、隣接する小川町と共に「細川紙」の産地である。紙すきは1300年前より開始されたと伝えられている。
地理槻川

槻川の最上流域で、外秩父山地などの山々に囲まれている。
地名

槻川地区

大内沢(おおうちざわ)

坂本(さかもと)

皆谷(かいや)

白石(しろいし)

大河原地区

奥沢(おくさわ)

御堂(みどう)

安戸(やすど)

注:住所としては各地名の前に「大字」を付す。(例:大字御堂
河川body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

槻川

白石沢

大内沢川

不動沢川

草和地沢川

鍛冶屋沢川

萩平川

御堂川

帯沢川

入山沢

宮堰用水

渕山堰用水

御堂中堰用水

深沢堀堰用水

関場堰用水

青木下堰用水

田中堰用水

岩下堰用水

烏帽子堰用水

歴史

1871年明治4年) - 埼玉県が設置される。

1873年(明治6年) - 皆谷学校(現:東秩父村立西小学校)が開校する。

1874年(明治7年) - 槻川小学校(現:東秩父村立槻川小学校)が開校する。

1878年(明治11年) - 大内沢および白石に分教場が開設される。

1882年(明治15年) - 皆谷学校を三益小学校へと改称する。

1887年(明治20年) - 紙幣に用いるをすき始める。

1889年(明治22年)

安戸村・御堂村・奥沢村が合併し大河原村に、大内沢村・坂本村・皆谷村・白石村が合併し槻川村となる。

槻川小学校を大河原小学校へと改称する。


1892年(明治25年) - 三益小学校を槻川小学校へと改称する。

1897年(明治30年) - 全村に大粒のが降り、凶作となる。

1899年(明治32年) - 大河原郵便局が開局する。

1910年(明治43年) - 関東大水害により家8軒が流出する。

1919年大正8年) - 大河原村のうち、紙すきの家が180軒を数える。

1923年(大正12年) - 関東大震災が発生する。

1927年昭和2年) - 大河原小学校の校舎が新築される。

1931年(昭和6年)

槻川村に防火線が整備される。

二本木峠遊園地が建設される。

比企郡小川町を中心に西埼玉地震が発生する。


1932年(昭和7年) - 高田群次郎が槻川塾を開塾する。

1937年(昭和12年) - 槻川診療所が開所される。

1939年(昭和14年) - 槻川郵便局が開局する。

1941年(昭和16年) - 大河原小学校および槻川小学校が国民学校と改称される。

1942年(昭和17年) - 風船爆弾用気球紙を生産する。

1947年(昭和22年) - 槻川村立槻川中学校および大河原村立大河原中学校が開校する。

1948年(昭和23年) - 各学校にPTAが置かれる。

1949年(昭和24年) - 槻川小学校の校舎が新築される。

1951年(昭和26年) - 小川高等学校の東秩父分校が開校する。

1952年(昭和27年)

大河原中学校および槻川中学校の校舎が新築される。

テレビ放送が開始される。


1956年(昭和31年)8月1日 - 秩父郡大河原村槻川(つきかわ)村が合併し、東秩父村となる。


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