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東 由多加(ひがし ゆたか、1945年5月12日 - 2000年4月20日)は、日本の劇作家、演出家。東京キッドブラザース主宰。 台湾生まれ。長崎県立長崎西高等学校卒業、早稲田大学教育学部中退。自らの作・演出によるミュージカル80作品を上演。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年11月) 作家の柳美里はかつて女優を志して、東の劇団に所属していたが、東は柳に「あなたは演じるより、書きなさい」と作家になる事をすすめた。柳は自分が18歳から31歳まで15年間、東と同棲した「伴侶」だと言っているが[1]、東が多数の愛人を作ったことで破局し、柳がある既婚男性との子供を身ごもり破局した際には東が柳と同居し、柳の子供の育児のサポートを務めた。
人物・来歴
略歴
1963年、早稲田大学に入学。
1967年、寺山修司らと天井桟敷を結成。
1968年9月21日、新宿の喫茶店でキッド兄弟商会(後に東京キッドブラザースに改名)を結成。
1970年3月24日、寺山修司が発起人となり『あしたのジョー ファンの集い(力石徹告別式)』が講談社6階講堂で開催され、東が構成・演出を手がける。
1970年、『GOLDEN BAT』でオフ・ブロードウェイに進出。
1971年、『サクランボ・ユートピア』を鳥取県佐治村に開設。
2000年、食道癌により死去。
エピソード
書籍
『東京キッドブラザース全漂流記録集』八曜社、1977年
『地球よとまれ、ぼくは話したいんだ』毎日新聞社、1977年12月、講談社文庫、1981年12月15日
『愛を追い夢を追い 東京キッドブラザースの青春』講談社、1982年1月 ISBN 9784061459434
『ぼくたちが愛のために戦ったということを(1)――「冬のシンガポール」「失なわれた藍の色」』而立書房、1981年8月 ISBN 9784880590462
『ぼくたちが愛のために戦ったということを(2)――「哀しみのキッチン」「街のメロス」』而立書房、1982年8月 ISBN 9784880590561
『ぼくたちが愛のために戦ったということを(3)――「青春のアンデルセン」「SHIRO」』而立書房、1982年3月 ISBN 9784880590509
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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