東海_(列車)
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(ワイドビュー)東海
「(ワイドビュー)東海」(2006年3月)
概要
日本
種類特別急行列車
現況廃止
地域東京都神奈川県静岡県
前身急行「東海」
運行開始1996年3月16日
運行終了2007年3月17日
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
路線
起点東京駅
終点静岡駅
営業距離180.2 km
使用路線東海道本線
車内サービス
クラス普通車
座席普通車指定席:1号車・2号車
普通車自由席:3号車
技術
車両373系電車静岡車両区
軌間1,067 mm
電化直流1,500 V
備考
廃止時点のデータ
1996年3月16日 - 同年7月25日は全列車「東海」として運転
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東海(とうかい)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)が、分割民営化後は東海旅客鉄道(JR東海)および東日本旅客鉄道(JR東日本)が東海道本線で運転していた列車である。列車種別準急急行特別急行と変遷し、末期にはワイドビュー車両を使用していたことから「(ワイドビュー)東海」と案内されていた。

本項では、東海道本線の東京駅 - 名古屋駅間で運行された優等列車の沿革についても記述する。
概要

「東海」は、1955年7月20日東京駅 - 名古屋駅間で準急「東海」として運転を開始。1959年9月には「東海」の補完列車として、準急「新東海」が設定された。1961年10月に「新東海」を速達化して特急「おおとり」に変更し、「東海」は昼行6往復・夜行1往復の7往復体制で、このときが運転本数としては最盛期であった。

1966年3月に急行列車化され、1972年3月には全列車の運転区間を東京駅 - 静岡駅間に変更した。1996年3月には特急列車に格上げされ[1]、運転区間が東海道新幹線と並行する数少ない昼行特急列車として、東海道新幹線の補完輸送の役目を担い、新幹線が経由しない沿線主要駅に対し乗換不要のサービスを提供していたが、2007年3月に利用客の減少により運行を終了した。
運行概況

廃止時点で、朝と夕方に1往復ずつ、計1日2往復運転されていた。列車番号は3XM(Xは号数)であった。

東京駅 - 三島駅間は同区間を走る「踊り子」の設定時間帯の前後を走り、「踊り子」が通過する平塚駅へも停車していた。

特急料金は、東京駅 - 熱海駅間の停車駅相互区間のみ利用の場合は「踊り子」と同様にJR東日本のB特急料金が、東京駅 - 熱海駅間の各駅と三島駅を利用する場合はJR東海のB特急料金が、そのほかの場合はA特急料金が適用されていた。ただし、三島駅・沼津駅 - 静岡駅間で自由席を利用する場合に限り、特定特急料金950円として、同区間の東海道新幹線自由席料金と同額に合わせていた。
停車駅

東京駅 - 品川駅 - 川崎駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 平塚駅 - 小田原駅 - 湯河原駅 - 熱海駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 富士駅 - 清水駅 - 静岡駅

急行時の停車駅(列車・時期により異なる)

東京駅 - 新橋駅(上りのみ) - 品川駅 - 川崎駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 藤沢駅 - 茅ケ崎駅 - 平塚駅 - 国府津駅 - 小田原駅 - 湯河原駅 - 熱海駅 - 函南駅 - 三島駅 - 沼津駅 - 吉原駅 - 富士駅 - 新蒲原駅 - 蒲原駅 - 清水駅 - 静岡駅
使用車両・編成

廃止当時の編成図東海
← 静岡東京 →

123456

指指自自自自



=禁煙

凡例
指=普通車座席指定席自=普通車自由席

車端部のセミコンパートメント席は開放席部分と同じ。

JR東海静岡車両区所属の373系6両編成(2編成併結)を使用し、指定席車を2両連結しているがグリーン車はなく、普通車のみのモノクラス編成であった。

1号車・2号車は座席指定席(1号車禁煙・2号車喫煙)で、それ以外(3号車 - 6号車)は自由席(5号車以外禁煙)となっていた。1号車・4号車以外の各車両には、大型テーブルを備えた固定ボックス席が2号車・5号車に4区画、3号車・6号車に2区画設けられ、同じ373系を使用する「ふじかわ」「伊那路」と異なり、自由席車に設置されている区画については自由席料金で利用が可能であった。
東京対名古屋間優等列車沿革東京 - 熱海・伊豆半島間(「湘南準急」「湘南特急」群)については「踊り子 (列車)」を、東京 - 大阪間については「東海道本線優等列車沿革」を、東京対山陽・九州間については「山陽本線優等列車沿革」を参照
戦前の展開

1940年昭和15年)10月1日:東京駅 - 名古屋駅間に急行1041・1040列車が設定される。

東海道本線の急行列車は東京 - 関西・山陽を走る長距離列車にのみ設定されていたが、それまでの準急列車(現在の快速列車に相当)を格上げし、当時は比較的短距離の優等列車であるため、食堂車などは連結されなかった。なお、東京駅 - 名古屋駅間の所要時間は下りが6時間45分、上りが6時間35分であった。


1942年(昭和17年)11月15日:急行1041・1040列車は、列車番号を改め125・126列車となる。

1943年(昭和18年)2月1日:急行125・126列車廃止。

東名間準急「東海」と周辺列車群

1949年(昭和24年)9月15日:東京駅 - 名古屋駅間に夜行準急31・32列車が設定される。

戦後の準急列車は特別料金を要する優等列車との位置付けとなり、急行より速度・設備が劣る代わりに料金を低廉にした列車として設定された。


1950年(昭和25年)10月1日:31・32列車を格上げ・区間延長する形で、東京駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)・鳥羽駅間に関西本線経由の夜行急行列車を設定、翌11月に「大和」(やまと)と名付けられた。ただ前述の経緯もあって東海道線内のみの利用客も多く、編成の約半分は東京駅 - 名古屋駅間の連結であった。

1955年(昭和30年)7月20日:東京駅 - 名古屋駅間を結ぶ準急列車として「東海」の運転開始。

運行当初の編成は二等車(現在:グリーン車)1両、三等車(現在:普通車)9両の10両編成で、車両は「伊勢」・「大和」の東京駅 - 名古屋駅間連結車両と共通運用であった。


1957年(昭和32年)10月1日:客車で運行されていた「東海」を大垣電車区(現在:大垣車両区)に配置の80系300番台電車(二等車は一部0番台を混用)に変更し、二等車を2両に増結。3往復に増発し、上り2本を除いて運転区間を大垣駅まで延長。

電車列車として300kmを超える運行は初めての試みであった。


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