株式会社東海銀行
The Tokai Bank, Ltd.
(旧)東海銀行本店
(のちにUFJ銀行本店→三菱UFJ銀行名古屋営業部になるが2018年8月に解体)
種類株式会社
市場情報東証1部 8321
1949年5月16日 - 2001年3月27日大証1部(廃止) 8321
1949年5月16日 - 2001年3月27日名証1部 8321
1949年5月16日 - 2001年3月27日
本社所在地 日本
〒460-8660
愛知県名古屋市中区錦三丁目21番24号
設立1941年(昭和16年)6月9日
業種銀行業
金融機関コード0011
SWIFTコードTKAIJPJT
事業内容普通銀行業務
代表者小笠原日出男
(最後の代表取締役頭取)
資本金7,231億3,811万3,174円
発行済株式総数26億200万5,510株
売上高単体:7,991億3,400万円
連結:9,317億7,700万円
(経常収益、2001年3月期)
営業利益単体:△956億1,400万円
連結:△917億7,100万円
(経常利益、同期)
純利益単体:△682億9,600万円
連結:△622億600万円
(同期)
純資産単体:1兆5,427億300万円
連結:1兆4,766億7,600万円
(同期末)
総資産単体:32兆6,165億8,400万円
連結:34兆7,532億9,800万円
(同)
従業員数10,339人(単体、同)
決算期3月31日
主要株主UFJホールディングス 100%
関係する人物佐々部晩穂、鈴木亨市、三宅重光、加藤隆一
特記事項:いずれも2001年3月期決算[1]。
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株式会社東海銀行のデータ
統一金融機関コード0011
SWIFTコードTKAIJPJT
店舗数国内:267店
海外:29店
(※出張所等を含)
貸出金残高18兆7,844億7,300万円
預金残高19兆9,744億300万円
特記事項:
いずれも2001年3月期決算[1]。
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株式会社東海銀行(とうかいぎんこう、英語: The Tokai Bank, Ltd.)は、かつて愛知県名古屋市中区に本店を置いていた日本の都市銀行。後のUFJ銀行(UFJHD)、現在の三菱UFJ銀行(MUFG)の前身の一つ。 東海銀行は、1941年に愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の3行が合併して設立。前身の伊藤銀行は名古屋初となる私立銀行であり、松坂屋を源流とする伊藤財閥の流れを汲む。合併前は中京圏(東海地方)に本店を置く唯一の都市銀行であった。愛知県に本店を置く戦後地銀が新設されなかったため、名古屋財界(中京圏財界)において「名古屋五摂家」(他の4社は中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道(名鉄)・松坂屋)の一員として影響力を持っていた。本店[2]は、愛知県名古屋市中区錦3丁目21番24号(現在の三菱UFJ銀行名古屋営業部)にあった。 全般的には都銀中位行で推移し、また東京進出もバブル期に不良債権を築き上げただけであった。都銀各行がメガバンク再編に向かう中、結局、2002年1月15日に大阪市に本店を置く都市銀行である三和銀行と合併し、UFJ銀行(現在の三菱UFJ銀行)となった。 現在の三菱UFJ銀行に至るまで、東京証券取引所と名古屋証券取引所に上場していた。 愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の3行の合併に関する協議では、新銀行の名前について結城豊太郎日本銀行総裁(当時)に命名を依頼することとなり[3]、結城は3行側から行名案を複数提出させた上で、その中から「東海銀行」を選定した[3]。行名の「東海」は本拠地の東海地方を表すだけでなく、合併時に津島壽一日本銀行副総裁(当時)が書き贈った「寿比南山 福如東海」という言葉にもちなみ、縁起を担いで採用されたといわれる[3]。これは古くから中国で使われてきた賀詞で、同文句が入った豊臣秀吉所用の銅印(徳川美術館所蔵)もある[3]。 株式会社愛知銀行は、尾張徳川家に関係の深い豪商・素封家の発起により、1896年3月に第十一国立銀行(1877年4月設立)と第百三十四国立銀行(1878年11月設立)の2行が合併、両行の営業を引き継いで設立された。1914年から1918年の間に、関戸銀行・一宮銀行・東美銀行・大垣銀行・北方銀行・枇杷島銀行を合併している。 株式会社名古屋銀行は、1882年7月に名古屋区長吉田禄在の呼びかけで、有力実業家10人の発起により設立された。1907年からの10年間に、津島銀行・笠松銀行・金城銀行などを合併している。 株式会社伊藤銀行は、名古屋の富豪伊藤家の金融事業(個人経営の伊藤為替方)に端を発し、1881年6月、名古屋最初の私立銀行本店として設立され、いわゆる伊藤財閥の中核として機能した。1938年と1939年に中埜銀行・知多銀行を合併している。 上記3行は、中部圏の商工業の興隆、他銀行の買収・合併などによって着実に業容を拡大し、1940年末における愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の預金量は、全国普通銀行292行中それぞれ第10位・12位・32位であった。 1941年6月、大蔵省の「一県一行主義」の方針に従って上記の3行が新設合併し、資本金3760万円で株式会社東海銀行が設立された。主導したのは日本銀行出身で伊藤銀行に転じていた佐々部晩穂である。東海銀行の設立は軍部の圧力でできたものとみる向きが多いが、将来の名古屋の産業発展のために過当競争を避け、経営の合理化を進めて資金コストを下げるために、基盤の強固な本店銀行が名古屋に必要だという佐々部の信念だった[4]。
概要
行名の由来
歴史銀行合併の沿革
戦前 - 在名3行の合併
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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