東海第二発電所
Tokai No.2 Power Station
東海第二発電所(手前)
奥に見える灰色の建屋が東海発電所
東海第二発電所(とうかいだいにはつでんしょ)は、茨城県那珂郡東海村にある日本原子力発電(日本原電)の原子力発電所である。略称は東二(とうに)、げんでん東海。首都圏にある唯一の原子力発電所である。 日本初の百万kW級軽水炉。設置申請の関係で別の発電所となってはいるが、実質的には廃炉作業中の東海発電所と一体化しており、一つきりの正門の看板には発電所名が併記されている。 付属の東海港は燃料搬入・搬出用であるが、隣接する原研機構本部(旧原研東海研究所と旧動燃東海事業所)への物資陸揚げに使用されることがある。 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、原子炉が自動停止。その後、津波(高さ5.4メートル)が敷地に襲来したが、冷却用電源を複数備えていたことや、茨城県による津波評価を参考にした防潮壁強化工事が奏功し[1]、福島第一原子力発電所事故のような深刻な原子力事故には至らなかった。 震災以降、現在(2023年9月時点)に至るまで発電を休止している。稼働していた時期において、東海第二発電所の発電電力は東京電力と東北電力に売電されていた。売電割合は東京電力が80%、東北電力が20%となっている[2]。 原子炉形式主契約者定格電気出力定格熱出力運転開始設備利用率 1979年7月22日、発電所内で放射能を含む蒸気が漏出。運転を停止[3]。 2010年5月26日、原子力安全・保安院は、日本原電より「東海第二発電所において、非放射性廃棄物を処理する排水管に放射性廃棄物を処理する排水管が誤接続が1件あった」旨の調査結果の報告を受けた。給水加熱器ドレンポンプの計装ラックドレン配管がストームドレン系の排水管に誤接続されていたものであり、当該計器の点検時にトリチウムが微量に含まれた水が排水されていたと考えられる[4]。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、原子炉が自動停止した。常用の外部電源も停止したことから、非常用ディーゼル発電機3台を起動して運転に必要な電源を確保したが、津波によってディーゼル発電機用海水ポンプが故障したため、残るディーゼル発電機2台で原子炉冷却に必要な電源を確保した[5]。その後、外部予備電源が回復し、3月15日0時40分(JST)に原子炉水温度が100℃未満の冷温停止状態となったことを確認した[6]。その間は注水と、水蒸気を逃がすための弁操作の綱渡り的な繰り返しで、冷温停止までにかかった時間も通常の2倍以上であった[7]。 しかし、高さ6.1m(想定津波5.7m)の防波壁に到達した津波の高さは5.4mで、工事中のため防波壁には穴が開いていた。その穴から入った海水によって、全3台の海水ポンプが水没(2台は水深が低かったため稼働)し、非常用ディーゼル発電機1台も停止した。原子炉は冷却し続けられたが、工事穴どころか防波壁自体の高さとの差もわずか70cmで、もう少し波が高かったら、全ての電源が潰滅し、福島第一原発と同じ状態になっていたという。
概要
発電設備
(2009年度)現況
1号機沸騰水型軽水炉(BWR)GE、日立製作所、清水建設110万kW329.3万kW1978年11月28日35.1%定期点検中
過去の主なトラブル
1979年放射能を含む蒸気漏れ
2010年管理区域外への放射性物質の放出
東日本大震災
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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