東海地震
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東海・東南海南海地震震源域

東海地震(とうかいじしん)は厳密には2通りの用法があり、
浜名湖南方沖の遠州灘中部から静岡県沼津市沖の駿河湾に至る駿河トラフ(後述の南海トラフの東端を占める)下のプレート境界(沈み込み帯)で、2.の用法での「東海地震」震源域の東側が、単独で破壊して発生すると想定されている海溝型地震。想定東海地震、駿河湾地震。この用法では、潮岬南方沖から浜名湖南方沖までのを震源とする同様の地震を「東南海地震」として区別する。

潮岬南方沖の熊野灘から沼津市沖の駿河湾に至る南海トラフ下のプレート境界で繰り返し発生しており、将来も発生が予想されている海溝型地震。最新の地震は1854年嘉永7年)の安政東海地震である。

のどちらかを指す。東海大地震(とうかいおおじしん)とも呼称される。両者ともマグニチュード8級と想定されている。

東海地震は本来、熊野灘から駿河湾にかけて(右図C, D, E領域)を震源域とする巨大地震(本項2.の用法)を指していた。しかし、1944年その西側(C, D領域)だけを震源域とする巨大地震が発生(後に東南海地震と呼称される)、それにより空白域として残った遠州灘中部から駿河湾にかけて(E領域)を震源域とする単独での巨大地震(本項1.の用法)の発生が警戒されるようになった経緯から、現在は遠州灘中部から駿河湾にかけて(E領域)のみを震源域とする「想定東海地震」、または「駿河湾地震」を指す場合が多くなっている[1]。本項でもこちらの用法での東海地震について主に解説している。

本項1.の用法におけるいわゆる「想定東海地震」は、後述の通り1970年代以降注目されるようになり、プレスリップの検知による直前予知に基づいた予知体制が構築されるとともに、防災運動が展開されてきた。前回発生から約150年となる1990年代から2000年代にかけて、複数の研究者が別の見方から発生時期が近いと予想した上、特異な地震活動、低周波地震、スロースリップが相次いで観測・報告されたものの発生しなかった[2]。後述のように東海地震単独発生の例がないことからも、近年では再び「東南海地震や南海地震と連動してのみ発生する」との仮説が見直されている。

文献地質調査により、推定される歴史地震において、安政東海地震など東海道での被害が著しい『東海地震』と称する地震は全て、本項1.の用法における「想定東海地震」と「東南海地震」の震源域が同時に巨大地震を発生させたもの(すなわち本項2.の用法)と考えられていて、「(想定)東海地震」と「東南海地震」を分ける区分方法については、根拠が明確ではないとの批判がある。一方、「東南海地震」の震源域のみが巨大地震を発生させて「(想定)東海地震」の震源域で、長らく巨大地震が発生しなかったと考えられている時期も過去存在していることから、この区分方法を支持する見方もある。

なお、(想定)東海地震と東南海地震(東海道 - 紀伊半島)に加えて、南海地震(紀伊半島 - 四国)も、しばしば連動して発生し、更に規模の大きな巨大地震となった例があり、今後もそのような様式で発生する場合があると考えられている。
概説南海トラフ(赤線)のうち、駿河トラフは黄線の部分

東海地震の震源域となる駿河トラフは、ユーラシアプレートフィリピン海プレートの境界域である南海トラフの一部(北東端)にあたる。太平洋ベルト地帯の一角、殊に東海道ベルト地帯の中央で起こる大地震ということで、その被害は甚大な規模になると予想されるため、日本国政府は様々な対策を採っている。

1978年に「大規模地震対策特別措置法」を制定し、その中で静岡県下を中心とした「地震防災対策強化地域」を設定し、体積ひずみ計GPSの観測機器を集中して設置することで、世界でも例を見ない警戒宣言を軸とした「短期直前予知を前提とした地震対策」を採ることになる。

その後20年を経過して、観測データの蓄積や技術の向上によって想定を見直すこととなり、2002年には愛知県や長野県下まで「地震防災対策強化地域」が拡大された。

将来的には必ず発生する地震であるため、被害を最小限にするために、行政機関は官民挙げた災害対策を実施している。しばしば「○月○日に東海地震が発生する」という風説やデマも流れる。

日本付近では、東海地震のほかにも東南海、南海地震の原因となる南海トラフ、北海道太平洋側の千島海溝、東北太平洋側の日本海溝など、各所で海溝型の地震が発生するが、東海地震のみに上記のような特別な監視体制と地震対策が設定されている。これは、1854年に発生した安政東海地震の震源域のうち、東南海(紀伊半島沖 - 遠州灘)のプレート境界では90年後の1944年に東南海地震が発生し、プレートの歪みが解消されたが、東海地震の震源域(遠州灘 - 駿河湾のプレート境界)では地震が発生しておらず、歪みの蓄積したプレートが割れ残ったままになっているという学説が提唱されたことによる。実際、駿河湾をまたぐ測量結果から、同地域周辺に地殻歪みのエネルギーが蓄積され続けていることが確認されている。

1969年茂木清夫東京大学教授)が、遠州灘で大地震が発生する可能性を指摘したのが最初だが、安政東海地震の古文書では駿河湾の奥でも震度7の揺れがあったと推定されたことから、遠州灘だけが震源域だとすると矛盾があった。1976年には、羽鳥徳太郎東京大学地震研究所)が安政東海地震の津波の波源域が駿河湾内に及んでいたことを推定した[3]。次いで石橋克彦(当時東大地震研究所)は、東海地震説の決定打とでも言うべき「駿河湾地震説」を提唱した[4]

安政東海地震では、駿河湾西岸で地盤の隆起があったことを突き止め、これまでの震度や津波のデータを総合すると、駿河湾の奥まで震源域が達していて、1707年の宝永地震でも同様に駿河湾奥までが震源域だったとし[5]、断層モデルも提唱した[6][7]。再び東海地震が発生すれば、静岡県を中心とする地域が壊滅的な被害を受け、日本の大動脈である東海道新幹線東海道本線国道1号線それに東名高速道路が寸断されるなど多大な影響が出るとして、即急な災害対策や地震予知体制の確立を訴えた[8]

前述のように観測網の整備が進んでいる為、「事前の予知が可能なほぼ唯一の地震」とされていたが、ほかの地域でも観測網の整備が進んだことで、プレスリップをはじめ、さまざまな地震前駆現象を捉えることが可能となり、地震研究者の間では「東海地震だけが事前予知可能」という見方はされなくなった。

他方「事前の予知が可能」と言っても、確実に予知できるとは限らない。地震の基本的メカニズムが十分に解明されていない現状では、予知が可能なのはプレスリップが生じた場合に限られるというのが、地震研究者の認める所である。プレスリップが生じない場合、またはそれが微弱で、検出できずに予知に失敗する可能性、現象の進展が余りに急激で、警戒宣言が間に合わない可能性もある。

2011年3月に発生した、想定東海地震を上回る規模の東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)でプレスリップが検出できなかったことについて、地震予知連絡会会長・島崎邦彦は「プレートの状況が異なり、今回の結果で東海地震の予知ができないということにはならない」としている[9]

「地震予知できること」を前提にするのではなく、「予知無しで地震が発生する事も想定して、対策を練るべきである」といった意見が強まっている。特に日本国政府や地方公共団体に対して、「地震予知に莫大な予算を使うよりも、構造物の耐震化など減災分野に予算を使うべき」といった厳しい意見も挙がっている[10]。また、東海地震にばかり世間の関心が集まったため、他地域で起こりうる大地震への関心が相対的に低くなり、防災予算が静岡県だけに集中配分されてきたことに対する批判もある。

前述の東北地方太平洋沖地震を受けて、南海トラフで想定される巨大地震の規模や被害想定の見直しが進められている。2011年12月に発表された中央防災会議の「南海トラフの巨大地震モデル検討会」の中間とりまとめでは、南海トラフで起きると想定される3連動型巨大地震の最大規模として、海溝浅部の大きな滑りと海溝深部に達する滑りが加味されて、震源域が従来のほぼ2倍に拡大され、暫定値としてMw9.0が示された[11]。これら検討会を踏まえ、2013年(平成25年)5月24日に、南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)が公表された[12]
東海地震説の変遷
1970年代

駿河湾だけ単独で東海地震が発生した過去の記録は無いため、21世紀半ばから後半ごろ(2050年以降)に発生すると予測されている、次の東南海・南海地震と連動して起きるのではないかとの仮説は、1970年代からあった。


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