東海中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度10分48.3秒 東経136度55分48.6秒 / 北緯35.180083度 東経136.930167度 / 35.180083; 136.930167
東海中学校・高等学校(とうかいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市東区筒井一丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
高等学校では、中学校から内部進学した生徒と外部から入学した生徒を高等学校第2学年から混合してクラスを編成する、併設混合型中高一貫校(詳細はその他を参照)。浄土宗教校の一つである。
また、宗教の授業がある。 東海学園講堂
概要
講堂
情報
設計者酒井勝、大脇勲、宮川只一[1]
建築主学校法人東海学園
構造形式SRC造[2]
建築面積909 m² [2]
階数地下1階、地上3階[2]
着工1930年(昭和5年)[3]
竣工1931年(昭和6年)7月[3]
所在地〒461-0003
愛知県名古屋市東区筒井1-202-4
座標北緯35度10分48秒 東経136度55分46.02秒 / 北緯35.18000度 東経136.9294500度 / 35.18000; 136.9294500 (東海学園講堂)
文化財国の登録有形文化財
指定・登録等日1998年9月2日[2]
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1888年(明治21年)浄土宗学愛知支校として名古屋市に設立された中高一貫の男子校である。旧制東海中学第二代校長は仏教学者で政治家の椎尾弁匡で、新制高校2代校長は後に浄土宗大本山百万遍知恩寺法主となった林霊法である。浄土宗に基づき仏教教育や情操教育を行う。
生徒の自主性を尊重する校風で、進学校[4]として名高い[5]。同一法人下に東海学園大学を擁すが、同大学への内部進学枠は有していない。制服は男子校の伝統の一つでもある金ボタン5個黒詰襟学生服(標準学生服、中学生は右胸部分に白の刺繍で姓名を入れている。なお2022年(令和4年)度から入学した中学生の制服には姓名の刺繍はなくなった。)。食堂(読み方は「じきどう」)も設置しているが、利用は高校生限定(テスト期間中等の特別な場合に限り、中学生の利用が認められる)。
1931年(昭和6年)に、昭和天皇御大典記念事業の一環として[3]建てられた講堂は、国の登録有形文化財に登録され[2]、1992年(平成4年)に名古屋市都市景観重要建築物等に指定されている[6]。