東沙諸島
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東沙諸島東沙環礁の衛星写真(右上が北)
左上の島が東沙島
地理
場所南シナ海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯20度43分 東経116度42分 / 北緯20.717度 東経116.700度 / 20.717; 116.700
島数1
主要な島東沙島
行政
中華民国 (実効支配)
海南特別行政区1949年 - 1979年
高雄市旗津区中興里(中国語版)(代理管轄、1979年 - )
中華人民共和国
街道弁事処広東省汕尾市@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}城区遮浪街道(中国語版)[疑問点 – ノート]
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東沙諸島
中国語
繁体字 東沙群島
簡体字 ?沙群?

発音記号
標準中国語
漢語?音D?ngsh? Qund?o
注音符号??? ?? ???? ???

ベトナム語
クオック・グーQu?n ??o ?ong Sa

東沙諸島(とうさしょとう)またはプラタス諸島(Pratas Islands)は、香港の南東約340kmの南シナ海に位置する東沙島、北衛灘、南衛灘および周辺の環礁により構成される環礁群である。中華民国台湾)が実効支配しており、台湾では東沙環礁国家公園および国立中山大学の一部に指定されている。
概要

東沙諸島には、「東沙環礁」、「南衛灘環礁」、「北衛灘環礁」の三つの珊瑚環礁が存在する。東沙環礁は、環礁州島である東沙島を有する円形の典型的な環礁で、直径約20km、礁湖面積は約300km2である。同様に南衛灘と北衛灘も円形の環礁である。東沙島以外の環礁は、干潮時には海面上に姿を現しているが満潮時には水没するため、国際法上の「島」ではない。

東沙島はもともと無人島であったが、現在は領有権主張のため多くの中華民国国軍関係者が常駐しており、宿泊施設やテニスコート、飛行機の滑走路も建設されている。
歴史明の「鄭和航海図」。右下の砂をばらまいたような「石星石塘」が東沙諸島であると主張される。

古くは明代の記録に現れるとされ、これをもって中国人による東沙諸島の開発と経営の開始であるとされる。1730年は東沙諸島を版図に編入し、広東省恵州の管轄とした。しかしその後は、わずかな漁民を除き長く無人であった。

1866年、日本の幕府御用船が東沙島に漂着[1]。乗組員の八丈島島民34名は中国漁民に救助され、香港経由で日本に送還された[1]。1901年、アホウドリ捕獲を目的として玉置半右衛門が東沙島へ探検隊を派遣し、水谷新六は島に上陸した[2]。しかし、アホウドリが生息していなかったことから、両者共すぐに引き上げた[3]。1907年、水谷は島に生息するカツオドリ捕獲を目的として、再び東沙島進出を試みた[3]。しかし、東沙島に到着後島に取り残され、3か月後に救助されるという結果となり、開拓は失敗に終わった[4]。同年、水谷に続いて西沢吉治が東沙島に進出[5]。西沢は島を西沢島と名付け、グアノ採掘や高瀬貝などの採取、タイマイ捕獲を行った[6]。1909年、日本と清との間で領土問題化[7]。最終的に島を清国領とする一方、清は西沢の事業を16万元(うち3万元は税金として徴収のため、実質13万元、日本円で約10万円)で買い取る形で決着し、1909年10月11日に「プラタス」島引渡ニ関スル取極が調印された[8]

第二次世界大戦中、日本海軍が気象観測施設を設置し、滑走路の建設も行った。1945年5月28日アメリカ海軍潜水艦ブルーギルから12人の乗員が上陸し、同島を無血占領した。翌日には星条旗が掲げられ、プラタス島を「ブルーギル島」と改名する宣言がなされるとともに、通信施設や気象観測施設などの複数の建物が破壊された。

1945年のうちに、連合国の一員で戦勝国となった中華民国国民政府はこの島を広東省の管轄とし、1949年には海南特別行政区の管轄とした。同年、中華民国政府が台湾に移った後も、この諸島は南沙諸島太平島などとともにその支配下にとどまった。1979年には高雄市に移管された。もと国防部の管轄だったが、2000年に沿岸警備隊である海岸巡防署(2018年以降、海巡署)に移管された[9]。2007年、中華民国政府は、東沙島とその環礁を東沙環礁国家公園に指定し、管轄する海洋国家公園管理処を設けた。生態保全のため、一般観光客への開放は目下行われれていない。なお中華人民共和国も領有を主張し、広東省汕尾市陸豊市碣石鎮に属するとしている[疑問点 – ノート]。

2007年1月17日に中華民国政府により東沙環礁国家公園に指定された。

2008年2月10日に陳水扁中華民国総統視察。

陳水扁政権の一連の動きに繰り返し抗議していた中国政府は、2008年中華民国総統選挙に絡み台湾の内政で激しい対立が起こっていた隙を突いて、2008年4月に東沙島からわずか1kmの海上に大量の中国漁船団を向かわせ、貨物廃船を使った2万8千平方メートルの漁船基地を構築した。30人が常駐可能な簡易基地が突如出現したことは台湾国民に衝撃を与え、基地は海岸巡防署員らによってただちに撤去された。総統就任を直前に控えていた馬英九は、中国寄りの姿勢を厳しく糾弾され、自身の発言や政策の修正を余儀なくされた。

2008年9月10日、馬英九中華民国総統視察。


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