東池袋
町丁
サンシャイン60
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}東池袋東池袋の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分48.69秒 東経139度43分5.79秒 / 北緯35.7301917度 東経139.7182750度 / 35.7301917; 139.7182750
国 日本
都道府県 東京都
特別区 豊島区
地域西巣鴨地域
面積
? 合計0.935 km2
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
? 合計19,569人
? 密度21,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号170-0013[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート練馬
東池袋(ひがしいけぶくろ)は、東京都豊島区の地名。現行行政地名は東池袋一丁目から東池袋五丁目。郵便番号は170-0013[2]。 池袋駅東口北側の地域で、日本有数の繁華街池袋の中心である。町域は概ねJR山手線環内に入り、国道254号(春日通り、川越街道)の南側、グリーン大通り(旧称:市電通り)の北側に一丁目から五丁目まで存在し、北側に上池袋、北大塚、東側に南大塚、文京区大塚、南側に南池袋、西側に西池袋と接している。豊島区役所や、サンシャインシティ、60階通り、サンシャイン通りなどがあり、飲食店や商業施設がひしめいている。南池袋に向かっては寺社が多数あり喧騒なイメージと異なった静寂さが広がっている。副都心の商業集積地区と昭和時代の古い猥雑さとが同居しているが、全体に高台で神田川に向けて緩やかに下っているので、住宅地としても良好である。また、各種学校・大学も置かれ池袋駅東口の豊かな一面をのぞかせる。ただし、西武百貨店本店や池袋パルコ、東口地下街の池袋ショッピングパーク (ISP) は南池袋に当たる。都電軌道より都心側は一部文京区大塚になり護国寺も近い。また都電沿線の商店街は今も活況を呈しており、建物も歴史を感じさせるものと新しいものとが混在している。 住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、東池袋2-12-9の地点で57万4000円/m2となっている[4]。 江戸時代には豊嶋郡池袋村および雑司ヶ谷村の一部であった。 「東池袋四丁目地区再開発地区計画」および「東池袋四丁目地区地区計画」として、東池袋四丁目および南池袋二丁目の一部における再開発が進められている。 地名は、池袋駅の東側に位置することに由来する。元々は大半が北豊島郡雑司ヶ谷村に属しており、本来の池袋村とは関係が薄い。かつては雑司ヶ谷の名の通り雑木林に覆われた土地であった。この現在の東池袋および南池袋一帯は、江戸時代には旗本三千石中西公の拝領地であったために「中西の森」と呼ばれ、明治時代に根津嘉一郎が土地を買収すると「根津山」と呼ばれるようになった。「根津山」とは現在の豊島岡女子学園中学校・高等学校辺りにあった小さな丘のことだが、この周辺一帯の地名として使われた。太平洋戦争中は大規模な防空壕があり付近の避難場所ともなった。 実施後実施年月日実施前(各町名ともその一部) 2012年、東京都は東池袋一丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[6]。さらに2019年には同一丁目を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[7]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[8]。 2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
地理
地価
歴史
東池袋地区再開発計画
地名の由来
沿革
1878年(明治11年)7月22日 - 池袋村、雑司ヶ谷村が、郡区町村編制法により北豊島郡所属となる。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により北豊島郡巣鴨村が発足。大字池袋、巣鴨、雑司ヶ谷となる。
1918年(大正7年)7月20日 - 巣鴨村が町制施行し北豊島郡西巣鴨町となる。この地域の大字名は代わらず。
1932年(昭和7年)10月1日 - 西巣鴨町が東京市に編入され豊島区の一部となることに伴い、池袋一・二丁目、西巣鴨一・二丁目、雑司ヶ谷町となる。
この間、幾度か地名が変更される。
1966年(昭和41年)11月1日 - 住居表示に伴い、池袋東一丁目の大半、池袋東の一部、西巣鴨一丁目の全部、西巣鴨二丁目の一部、日出町一・二丁目の北半分を合わせ、東池袋となる[5]。
町名の変遷
東池袋一丁目1966年11月1日池袋東一丁目
東池袋二丁目池袋東一丁目、西巣鴨二丁目
東池袋三丁目池袋東一丁目、西巣鴨一丁目、西巣鴨二丁目
東池袋四丁目池袋東一丁目、池袋東三丁目、西巣鴨一丁目、西巣鴨二丁目、日出町一丁目、日出町二丁目
東池袋五丁目西巣鴨一丁目、西巣鴨二丁目、日出町一丁目、日出町二丁目
治安・風紀対策
世帯数と人口
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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