東武8000系電車
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東武8000系電車(8000系・800型・850型)
東武8000系8184編成(2022年1月31日)
基本情報
運用者東武鉄道
製造所アルナ工機
日本車輌製造東京支店
汽車製造東京製作所
東急車輛製造
富士重工業
製造年1963年 - 1983年
製造数712両
運用開始1963年11月1日[1]
主要諸元
編成8000系:2両・4両・6両・8両
800系・850系:3両
軌間1,067 mm (狭軌
電気方式直流1,500 V架空電車線方式)
最高運転速度100 km/h
設計最高速度110 km/h
起動加速度2.23 km/h/s[注 1]
減速度(常用)3.7 km/h/s
減速度(非常)4.5 km/h/s
車両定員先頭車:150人
中間車:170人
自重8000系:Tc1・2=26 t、T=32 t、M=39 t
800系:Tc=26 t、M=38 t、Mc=40.5 t
850系:Mc=39.5 t、M=39 t、Tc=26 t
全長20,000 mm
全幅2,850 mm
全高4,200 mm
車体普通鋼
台車TRS-62M・TRS-62T(1963 - 1974年製)
TRS-75M・TRS-75T(1976 - 1983年製)
主電動機直流直巻電動機
1C8M仕様車:TM-63
1C4M仕様車:TM-64
主電動機出力130 kW
駆動方式TD撓み板継手中空軸平行カルダン駆動
歯車比5.31 (16:85)
制御方式電動カム軸超多段式直並列バーニア抵抗制御
制御装置1C8M仕様車:VMC-HT-20A
1C4M仕様車:VMC-HT-10A
制動装置電磁直通空気制動 HSC
保安装置東武形ATS
東上線・越生線用4Rワンマン 東武形ATST-DATC
2R車の一部は秩父ATSを搭載
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東武8000系電車(とうぶ8000けいでんしゃ)は、東武鉄道通勤形電車

本項では8000系から改造された3両編成の800型電車・850型電車[注 2]についても記述する。また、個々の編成を表す場合は浅草池袋方先頭車の車両番号の末尾に「F」(「編成」を意味する英語Formationの頭文字)を付して表記する。
概要

沿線人口の急増による乗客増への対応と旧形車両の置き換えを目的として開発され、1963年昭和38年)から1983年(昭和58年)まで、約20年もの長期にわたって712両が製造された[注 3]。ただし、製造年次により細部には様々な差異が生じている。この同一系列での712という数は、日本国有鉄道とJRを除いた私鉄電車では最多両数[注 4]で、本系列はこの記録を1970年代以来保持している。

製造メーカーは、アルナ工機(当初はナニワ工機。現:アルナ車両)を中心に日本車輌製造東京支店・汽車製造東京製作所・富士重工業(現:SUBARU)・東急車輛製造(現:総合車両製作所)の計5社である。ただし、汽車製造は1963年(昭和38年)製の初期車2編成(8104Fおよび8105F)のみ製造に携わり、また日本車輌は1971年(昭和46年)の豊川移転統合に伴う東京支店工場閉鎖のために製造から外れ[注 5]、代わって東急車輛が1973年(昭和48年)の8163Fの新製より加わっている。

2・3・4・6・8両の編成が存在する。当初は4両固定編成が登場し、2両の電動車を一括制御する1C8M方式がとられたが、ついで2両固定編成登場時には1両の電動車のみ制御する1C4M方式がとられ、以後、6・8両固定編成が登場するにあたっても、MT比を1:1として両者が混在している。3両固定編成は後年になって改造で誕生したものであり、MT比は2:1となっている。組み合わせによってローカル線区の2両から本線東上線の優等列車10両まで、柔軟な運用が可能である。
国鉄103系電車との類似点

本系列は、その両数の多さと長期にわたる製造期間から、ほぼ同時期の20年間に約3,000両以上が製造された国鉄103系電車と共通点が多く、「私鉄の103系」とも呼ばれている。

共通点として両開き4ドアの20 m車体、旧形車両の置き換え用として小形軽量で高回転形の主電動機と中空軸平行カルダン駆動を採用し[注 6]、経済性を重視した新世代通勤形車であったことなどが挙げられるが、上記の通り端子電圧の異なる2種の主電動機を採用し、1C4M方式と1C8M方式を混在させることで短編成から長大編成までMT比1:1を維持する点[注 7]発電ブレーキを装備しない点[注 8]空気ばね台車を用いた点などは、大きな相違である。また、座席に関しても後述のように座り心地の良いものになっている点など、空気ばねの採用とあわせ、103系に比べると長距離客の利用にも配慮したものとなっている点が異なる。

また、膨大な車両数から車両番号の枠が本来の4桁では収まり切らなくなり、通称「インフレナンバー」と呼ばれる5桁の車両番号を持つ車両が登場した[注 9]。詳細は「#インフレナンバー」を参照。
車両概説
車体

全長20 m・両開き4扉の普通鋼製で、軽量化と車体強度を両立させるため、開発当時の首都圏の電車としては比較的珍しく、戸袋窓が設けられていない。

前面はそれ以前の東武の通勤形電車と同じく貫通式である。窓下の2灯式前照灯や額部の行先表示器は、8000系に先んじて1961年(昭和36年)より新製された2000系の影響が強い。また、種別幕は当初3列の分割幕になっており、列車番号も表示可能となっていたが、後に種別表示専用の1枚幕方式に改造された。当時大手私鉄の幹線車両のほとんどに装備されていた通過標識灯は、尾灯のように車体に埋め込まれているのでなく、屋根上に飛び出して設置されるという非常に珍しい形態だった。しかし、その後伊勢崎・日光線の快速(種別名は当時のもの)以上を除いて通過標識灯点灯が廃止されたため、撤去して埋め込まれた。この場所から雨水が入って腐食することも廃止の理由の一つであったという。

側窓上部の形状や、車体裾部の構造、側扉の窓ガラス支持方法など、製造年次によって細部に違いがある。またインチネジ使用とミリネジ使用の違い、台枠と外板の溶接方法の違い、床構造の違いなどの差異も多い。
内装

オールロングシートで、扉間は7人掛け、車端部は4人掛けとなる。客用ドアは製造当初からステンレス製で、車内側の仕上げは、1974年(昭和49年)までに新製された車両はベージュ色に塗装されていたが、1976年(昭和51年)以降に新製された車両は内側の塗装が省略され、ステンレス無塗装仕上げとなった。寒冷地における運用を考慮して、長時間停車時等に中間2箇所の扉を締め切ることができる「中間扉締め切り機構」が当初から装備されており、中間の4箇所の扉の上にはオレンジ色の表示灯があり、ランプ横に「このランプがついているときは停車してもこのドアはひらきません」との説明板(コーションプレート)が取り付けてある。なお、後述の修繕工事を施工された車両では、この表示灯がLED表示灯に改められた。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}車両間の貫通路は1,200 mmの広幅タイプで、4両固定編成でも車両間の貫通扉が設置されていないのが特徴のひとつであったが、主に冬期の寒さ対策のため6両固定編成の導入を契機に両開き式の貫通扉の設置を開始し、従来車にも、修繕と同時に後付け改造を施工した結果(後に未更新の編成や5000系列も一部ながら施工対象となった)、2011年(平成23年)時点では、2両固定編成以外には貫通扉が設置されている(編成によって異なるが最低1ヶ所は設置されている)[要出典]。

一方、冷房装置搭載改造以前は東芝扇風機を装備していたが、夏季以外は取り外していた。改造後は冷房装置のみとなり、装置の関係で天井がいくぶん低くなった。

また、電動車の車内に主電動機の点検蓋がないため、すっきりした見付けになっていると同時に、走行時の静粛性向上にも寄与している。

修繕車の車内(2021年7月)


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