東映洋画
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東映洋画(とうえいようが)は、かつて存在した日本映画配給部門。設立時の名称は東映株式会社洋画部[1]。東映の一セクションとして主に洋画配給を行っていた[1][2][3][4][5][6]。本部は東京銀座東映本社(東映会館)内に置かれた[注釈 1]。正式な発足日は1972年5月16日[1]

東宝東宝東和松竹松竹富士と同様の業務を行っていた[7][注釈 2]。また洋画配給と宣伝、洋画系劇場に流す邦画の宣伝も行った[8]

1994年4月、業務が縮小され[2][9]1995年6月1日、映画営業部に吸収され廃止された[10][11]

2011年8月11日、東映が外国映画配給の新レーベル「TOEI TRY△NGLE」(東映トライアングル)発足会見が行い、1987年公開の『七福星』以来、24年ぶりに洋画配給を行うと報道された[3][注釈 3]

1980年代に配下に設立された「東映ユニバースフィルム」とその後改名された「東映クラシックフィルム」についても合わせて説明する。
概説

1972年、岡田茂東映社長により外国映画(以下、洋画)輸入配給業を事業とする「東映株式会社洋画部」として設立された[2][5][6][7][12][13][14]。同年1月、岡田は東映社長に就任後初の新年度経営方針として、経営第一主義の確立、あらゆる収益機会の意欲的開発を発表し[2]、儲かるビジネスがあれば参入していく方針を掲げた[15]。日本映画界が斜陽産業の代名詞のようになっていた時代[15]、東映生き残りを賭け[15]、本格化する東映の多角経営化の一つとして[4][15][16][17][18]、東映本社営業部から分派新設され、東映洋画は設立された[19][20]。東映の洋画配給はこの時が全くの初めてではなく、1950年代から1960年代に日本映画を3万ドル以上輸出した映画業者に、その見返りとして洋画を一本輸入を認める輸出ボーナスがあり[2]、東映も数本輸入したことがあった[2]。また洋画の買い付け配給ではないが、元々東映本社地下の旧丸の内東映パラスは、新宿東急と並んで、東京都内で二館だけのセックス洋画ロードショー劇場だった[2][21]1965年の洋画の興行網であるSTチェーンの本発足には松竹、東急レクリエーション(以下、東急レク)と共に東映も参加し、STチェーンが配給する洋画を上映していた[2]。ただ本格的な輸入配給は初めてとなる[2]。全国の東映パラス系14館を基盤に一般館を入れて20館前後として洋画部の配給がスタートした[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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