東映京都撮影所(とうえい きょうと さつえいじょ)は、京都市右京区太秦に存在する映画スタジオである。映連加盟のメジャー映画会社である東映の一事業所であり、現在はその敷地内に、オープンセットを一般公開するテーマパークである東映太秦映画村や、関連の各企業を内包する。東映の撮影所となったのは戦後からであるが、撮影所自体は、大正末年に阪東妻三郎が同地を切り開いて以来、90年を超える歴史を有する。 1951年(昭和26年)の「東映京都撮影所」としての開所以来、多くの傑作を生み出した。土地柄とその伝統から、おもに時代劇を得意としているが、『木曜ミステリー』を中心とした現代劇のテレビドラマ等も製作している。 1991年の年末、1992年年始のTV時代劇ブームでは、全18本のうち、10本を本撮影所で製作した[1]。 テーマパーク「東映太秦映画村」を経営する東映京都スタジオは東映子会社であるが、別会社である。東映京都スタジオは東映俳優養成所に所属する俳優のマネジメントも行なっていたが、2017年から京都撮影所に新設された俳優部へ業務が移管されている[2]。 おもに時代劇のテレビ映画を受注製作する東映太秦映像も別会社だったが2016年に合併した。 2018年には、所内に分散していたポスプロ施設を集約して「ポスプロセンター」としてリニューアル。東京撮影所の「東映デジタルセンター」と大容量高速回線ネットワークで結んで作業の効率化を図る。 しかし、2021年現在では、時代劇の不人気や、CG技術の発達などにより、11あるスタジオの一部を松竹やNetflixに貸し出すにとどまっており、東映が全くスタジオを撮影に使用しない時さえもある[3]。
データ
名称 : 東映株式会社京都撮影所
通称 : 太秦撮影所、東映太秦、東映京都など
所在地 : 京都府京都市右京区太秦西蜂岡町9
略歴・概要航空写真(2020年8月19日(水曜日))。南西に撮影所前駅、南東に広隆寺が見える。
前史
1925年(大正14年)5月2日、竹薮だった太秦の地を切り開き、阪東妻三郎プロダクションが自社の撮影所を建設、「合資会社一立商店阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所」としてオープン、太秦地区の初めての撮影所となった。同年12月末には、同プロダクションは株式会社に組織変更する。
1930年(昭和5年)、同撮影所は松竹に譲渡され、当時松竹傘下となっていた帝国キネマ演芸が使用し、「帝国キネマ太秦撮影所」となる。
1931年(昭和6年)、帝国キネマが改組され、新興キネマが設立されると同時に、同撮影所は「新興キネマ京都太秦撮影所」となる。
1942年(昭和17年)1月、新興キネマ、大都映画、日活の製作部門の合併により、大映が設立されると同時に、同撮影所は「大映第二撮影所」となる。
1947年(昭和22年)、東横映画発足、(大映との協定を結び、「東横映画京都撮影所」として)同社の撮影所となる。
1951年(昭和26年)4月1日、東横映画、太泉映画、東京映画配給の3社が合併して、東映を設立、東横映画撮影所は「東映京都撮影所」に、太泉映画スタジオは「東映東京撮影所」に、東京映画配給の配給・興行の機構は、本社および支社、直営館として東映を構成した。
東映のスタジオとして