東日本縦断駅伝
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "東日本縦断駅伝" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年2月)

東日本縦断駅伝(ひがしにっぽんじゅうだんえきでん)は、読売新聞社主催によるロードレース大会である。スタートの青森県とゴールの東京都の頭文字をとって『青東(あおとう)駅伝』とも呼ばれた。大会スローガンは「花になれ 風になれ 人は誰でもチャレンジャー」であった。
歴史

この大会は、サンフランシスコ講和条約の調印を記念して1951年に「青森東京駅伝」として第1回大会が開催された。コースは青森県・青森市青森県庁前)からスタートして、岩手県宮城県福島県栃木県茨城県埼玉県を経由して東京都・銀座(読売新聞本社前)を55区間・759.0kmで走破する東日本の都道県対抗レースとしてスタートし、以来毎年11月に開催されてきた。その後距離こそ若干の前後があるものの55区間は不変で1970年の第20回大会まで続いた。その後1971年の21回大会からコースが秋田県山形県経由となり、ゴールが東京都・大手町に変更された(これは、交通事情の悪化と読売新聞の本社が移転した事に伴うものだった)。

一旦1974年の24回大会を最後に休止されたが、1982年東北新幹線の開業を記念して岩手県・盛岡市岩手県庁前)から東京都・大手町のコースで大会名称を「東日本縦断駅伝」と改め25回大会として復活し、1983年の第26回から再び青森スタートの完全復活となる。1984年~1993年の10年間は女子選手も出場したことがあったが、1994年から男子選手のみに戻る。東京都チームが4回の完全優勝(全区間1位)を含む23回の総合優勝歴を誇った。

近年は箱根駅伝のメンバー入り当落線上と言われる大学生選手も多数出場して、実戦感覚を身につける意味で大きな役割を果たしていた。しかし特に道路・鉄道などの増設による交通事情の変化やロードレースも集中的に行われることから日程調整が付かないという理由で第45回大会が開かれた2002年度を最後に大会は消滅した。当然箱根駅伝を目指す選手達にとっても、トレーニングの一環と位置づけていたチームにとってもプランの練り直しを余儀なくされている。
関連大会

元々、東日本縦断駅伝は青森-下関を結ぶ駅伝構想の第一区間として行われた、第二区間として東京大阪駅伝(東京 - 大阪)、第三区間として西日本縦断駅伝(大阪 - 下関)が存在したが、いずれも1970年に消滅したままとなっている。実現すれば、さらに2013年に廃止された九州一周駅伝(2011年より「グランツール九州」)を含め、青森から九州を一本のたすきでつなぐ一大駅伝プロジェクトが確立していたことになる。

なお、列島縦断駅伝とは関連性がないものの、明治神宮国民体育大会(戦後の国民体育大会のルーツともなった競技会)において、宮崎市-奈良県橿原市畝傍(うねび)を横断する駅伝大会が存在した。
関連項目

九州一周駅伝(「グランツール九州」 九州・山口の9県対抗 九州各県を一周する世界一長いロードレース)

外部リンク

第45回東日本縦断駅伝
(この年の大会が最終回となった)

第1回?第44回大会結果










駅伝競走

一般

全国

天皇盃全国男子駅伝

皇后盃全国女子駅伝

地方男子

十和田八幡平駅伝(東北・関東)

男鹿駅伝

地方女子

東日本女子駅伝(東日本18都道県)

選抜女子駅伝北九州大会



実業団

全国

ニューイヤー駅伝(男子)

クイーンズ駅伝

予選会(プリンセス駅伝)


地方男子

東日本実業団(東日本15都道県)

中部・北陸実業団

関西実業団

中国実業団

九州実業団(九州・沖縄)



大学

全国男子

全日本大学駅伝

出雲駅伝

全国女子

全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)

全日本大学女子選抜駅伝(富士山女子駅伝)

男女混合

全国招待大学対校男女混合駅伝

国立大東西四大学対校戦

地方

箱根駅伝(関東男子)

東海学生駅伝(東海男子女子)

丹後大学駅伝(旧:びわ湖大学駅伝)(関西男子)

中国四国学生駅伝(中国・四国男子)

平成新山島原学生駅伝(九州男子女子)



高校・中学校

全国高校駅伝(男子女子)

全国中学校駅伝(男子女子)


廃止された主要大会

国際千葉駅伝(男女混合)

東日本縦断駅伝(男子)

環日本海新潟駅伝(男女混合)

中国駅伝(男子)

横浜国際女子駅伝

名岐駅伝(男子)

淡路島女子駅伝

朝日駅伝(男子)

九州実業団対抗女子駅伝

九州一周駅伝(グランツール九州)(男子)

東日本実業団対抗女子駅伝

実業団女子駅伝中日本大会

実業団女子駅伝西日本大会

FUKUIスーパーレディス駅伝

日光いろは坂女子駅伝

中国山口駅伝(中国近辺)


その他の大会

Category:駅伝を参照

カテゴリ


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:14 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef