東方聖堂騎士団
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東方聖堂騎士団(O.T.O.)の初期の護符(装身具)

東方聖堂騎士団(とうほうせいどうきしだん、Ordo Templi Orientis、 東方テンプル騎士団。略称 O.T.O.)は、20世紀初めに創設された魔術教団、オカルト教団である[1]。東洋のテンプル騎士団または東方の神殿の修道会という意味のラテン語を名称とする。当初はフリーメイソンを模倣したメイソン関連団体として設立されたものである。テンプル騎士団の精神的後継者を主張している[1]。OTOの中心思想はキリスト教グノーシス主義であり、インドのタントリズムと西洋秘密結社の伝統を用い、魔術実践に方向性や力を与えるためとしてセックスを用いる性魔術を重んじる[1]。男女で行われる伝統的なタントラと異なり、同性愛を積極的に評価する伝統を持つ[2]アレイスター・クロウリーの指導下で、彼の「セレマの法」を中心的な宗教原理とする団体として再編された。1904年の『法の書』に端を発する「セレマの法」は、「汝の意志するところを行え、それが法の全てとなろう」[3](フランスの作家フランソワ・ラブレーが300年以上前に『ガルガンチュワとパンタグリュエル』で述べたことで、クロウリーのオリジナルではない[4])と「愛は法なり、意志の下の愛こそが」[5]の二文に集約される。OTOの会員制は、演劇的儀式を用いた一連の位階儀礼による秘儀参入体系に基づいている。

OTOには団の教会部門であるグノーシス・カトリック教会(Ecclesia Gnostica Catholica、略称EGC)も含まれている。その中心的儀式は Liber XV (『15の書』)またはグノーシス・ミサ(The Gnostic Mass)と呼ばれ、一般にも公開される。

21世紀の現在、OTOと称する団体は複数存在する。本記事では1970年代のカルフォルニアで活動を開始した、国際OTOをもって自任するいわゆるカリフ派OTO(the Caliphate O.T.O.)を中心に記述する[6]
歴史
起源

OTOの初期の歴史を確実に辿るのは困難であるが、1895年から1906年の間にドイツかオーストリアで創始もしくは企図された[7]。公式的には、オーストリアの有力な化学者であり実業家であったカール・ケルナー(Karl Kellner, 1851-1905)が創始したことになっており、彼はOTOの精神的父と呼ばれる。もっとも、1904年以前の団については何も情報がない[8]。ケルナーが1895年にロイスに会い、アカデミア・マソニカ(メイソン大学)の構想を語ったことがOTOの発端とされている。ただしケルナー自身が東方聖堂騎士団のような名称を最初に用いたという証拠はなく、対外的には1906年のテオドール・ロイスの私家出版物「オリフラム」誌上に「東方聖堂騎士」(der Orientalischen Templer)という言葉が初めて登場した。

テオドール・ロイス 〔英名セオドア・ルース〕(Theodor Reuss, 1855-1923) は、ケルナーと共同でOTOを創設し、ケルナーの死後、OTOの首領となったとされる。これに先立つ1902年、ロイスは神智学者フランツ・ハルトマン(Franz Hartmann)とハインリヒ・クラインと連名で、ジョン・ヤーカーからフリーメイソンの「メンフィス&ミツライム古代原初儀礼」のドイツ・ロッジを運営する権利を購入した。メンフィス=ミツライム儀礼は非正規のメイソンリー儀礼だとされているものではあるが、古式公認スコティッシュ儀礼、スウェーデンボルグ儀礼と共にこれらは新たに結成された団の中核となった。ベルリン時代のルドルフ・シュタイナーはロイスと接触し、1906年にメンフィス・ミツライムの Mysteria Aeterna のグランド・マスターとなった。ロイスはこの他に、レオポルド・エンゲルが復興しようとしたイルミナティ団、フランスのジェラール・アンコースのマルティニスト団、グノーシス・カトリック教会といった団体に関わったり、いくつもの擬似メイソン的位階組織や複数の結社名をこしらえていた。OTOの歴史を研究したペーター・R・ケーニヒの推測によれば、少なくともヤーカーが亡くなる1913年まではメンフィス=ミツライムなどのロイスの諸結社とOTOは別個のものであったが、遅くとも1917年にはOTOはこれらを吸収・統合したものとして成立していた。

ロイスは英国のアレイスター・クロウリー、アメリカ合衆国のH・スペンサー・ルイス[9]、デンマークのカール・ウィリアム・ハンセンといった各国の秘教主義者やオカルティストと連携を図り、彼らに高位階やOTO支部開設の認可状を授与することによってOTOを国際的な友愛団として組織しようとした。他にロイスから高位階を授与されてOTOのグランドマスターとなった人物には、アルノルド・クルム=ヘラー[10]、ハインリヒ・トレンカー[11]、チャールズ・スタンスフェルド・ジョーンズ[12]が挙げられる。こうしてロイスの下で、フランス[13]デンマークスイスアメリカ合衆国オーストリアオカルト諸団体にOTO支部の設立認可が与えられた。ロイス自身は1917年にスイスのモンテ・ヴェリタにOTOロッジ Veritas Mystica Maxima を開設した。9位階あり、第六までの位階はメイソン的位階であった[8]
OTOとアレイスター・クロウリー

ロイスはアレイスター・クロウリーと接触し、1910年には彼にOTOの3位階を授与した。そのわずか2年後、クロウリーはグレート・ブリテンおよびアイルランドの責任者に就任し、X°位階に昇進した。Mysteria Mystica Maxima(M∴M∴M∴)[8]と称されるOTOイギリス支部を開設することも彼の任であった。クロウリーはその後、ベルリンに赴き、教義文書を受け取り、「グノーシスの聖域にあるアイルランド、アイオナ、全ブリテン諸島の至高聖王」[8]という称号を授かった。それから1年も経たずにクロウリーは、M∴M∴M∴の宣言文を書き上げ、その中で、ケルナーの構想した Academia Masonica(メイソン・アカデミー)の3位階を第七・八・九位階に配した、基本となる10位階制度を記述した。

1913年、クロウリーはモスクワ滞在中に、団の「一般公開および団内部の祝典の中心的な儀式」としてグノーシス・ミサを創作した。1914年、第一次世界大戦が勃発して間もなくクロウリーはアメリカへ渡った。クロウリーがセレマをOTOの体系に組み入れることを決意したのはだいたいその時期であり、1915年にはM∴M∴M∴で使用するために用意した儀式群を改定していた。

1917年、ロイスはOTOの『位階概要』を書いた。その中で彼は第三位階を「メイソンリーの職人」とし、これに関わる参入儀式を「徒弟職人親方」として「初伝3位階の教理問答およびあらゆる様々なメイソン体系の説明を含む、クラフト・メイソンリーにおける全ての知識教示」とともにこれを詳述した。同文書には、OTOの第四位階がエノクの聖ロイヤル・アーチとしても知られるものでもあることが記載されている。これはロイスが「スコッチ・メイソン、聖アンドリューの騎士、ロイヤル・アーチ(王宮の迫持〔せりもち〕)」に対応する「スコッチ・メイソンリー」の位階をひとつに集約したものであり、彼の説明によれば「古式公認スコティシュ儀礼の諸位階における全知識教示」である[14][15]


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